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蒲殿(かばどの):源範頼(みなもとののりより)の墓
源頼朝の異母弟:源範頼ゆかりの地
源範頼(みなもとののりより)
修善寺日枝神社の境内にあった信功院に幽閉されていたのを、
梶原景時に討伐され、亡くなったといわれますが、
修善寺から逃れたという伝説もあります。
参道
修禅寺から独鈷の湯を超えて坂道を歩いていきました。
由緒
源範頼墓
修禅寺から西の小山地区の山腹に源範頼の墓と伝わる祠がありましたが、
明治十二年に骨壺が掘り出され、範頼の墓を裏付けるものとなりました。
石塔には『従五位下参河守(三河守)源範頼公墓』と書かれています。
現在の墓は、昭和七年に、日本画家の安田靫彦(やすだゆきひこ)のデザインによって、
建立されました。
境内
木々に囲まれた静かな境内でした。
源範頼の墓情報
- 住所:静岡県伊豆市修善寺1082
- アクセス:伊豆箱根鉄道修善寺駅下車修善寺温泉行バス終点下車徒歩10分
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源義朝の六男で鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の異母弟になります。
蒲冠者(かばのかじゃ)・蒲殿(かばどの)と呼ばれています。
頼朝の代官として、源義仲や平家討伐に赴き、源義経とともに打ち破りました。
建久四年(1193年)に頼朝に謀反の疑いをかけられ、修善寺に流されました。