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源頼朝配流の地:蛭ヶ島(ひるがしま)
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
父親である源義朝が平治の乱で敗れた為、永暦元年(1160年)に蛭ヶ島に配流されました。
十四歳の時でした。
父親の義朝は尾張国野間で長田忠致(おさだただむね)に謀殺され、
長兄の義平(よしひら)は都で処刑され、次兄の希義(まれよし)は土佐に流刑となりました。
『蛭ヶ島の夫婦(ふたり)』:頼朝と政子像
頼朝と政子の視線の先には天気が良い日は富士山が見えるそうです。
頼朝と政子のブロンズ像は『蛭ヶ島の夫婦(ふたり)』というタイトルで、
平成十六年に建立されました。
由緒
『吾妻鏡』には『頼朝の流刑地は伊豆』と書いてあるだけで、
蛭ヶ島が現在の場所かは分からないそうです。
平安時代末期の遺物は発掘されておらず、
頼朝の居住地でなかったことが定説となっています。
蛭島碑記
江戸時代に学者の秋山富南(あきやまふなん)が、
『頼朝が配流された蛭ヶ島はこの付近にあった』と推定し、
寛政二年(1790年)に韮山代官の江川家家臣の飯田忠晶が、
『蛭島碑記』という石碑を建てました。
秋山富南顕彰碑
明治二十六年(1893年)に秋山富南の著作『豆州志稿』を増訂した萩原正夫が建てた、
秋山富南の顕彰碑だそうです。
梛(なぎ)の葉の縁結び
梛の葉は縁結びのお守りになっていたそうです。
江間の豆塚神社では授与品として境内のご神木の梛の葉を頂きました。
蛭ヶ島情報
- 住所:静岡県伊豆の国市寺家334
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅徒歩10分
蛭ヶ島公園内
旧上野家住宅(伊豆の国市歴史民俗資料館)
蛭ヶ島公園内には伊豆の国市歴史民俗資料館があります。
建物は十八世紀中頃に建造されたと推定される旧上野家住宅となっています。
県指定文化財となっています。
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清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、平家打倒に挙兵しました。
平家打倒を果たした後、鎌倉幕府初代将軍となりました。