Contents
- 1 日本最大規模の藩校:弘道館(こうどうかん)
- 1.0.1 由緒
- 1.0.2 徳川斉昭像
- 1.0.3 徳川斉昭(とくがわなりあき)
- 1.0.4 国指定重要文化財:正門
- 1.0.5 正門柱に残る弾痕(だんこん)
- 1.0.6 通用門
- 1.0.7 正庁玄関(せいちょうげんかん)
- 1.0.8 徳川斉昭自筆の『弘道館』扁額
- 1.0.9 徳川斉昭公と七郎麻呂公(慶喜公)像
- 1.0.10 諸侯会所
- 1.0.11 国指定重要文化財:至善堂(しぜんどう)
- 1.0.12 通路
- 1.0.13 土塁
- 1.0.14 文館跡(ぶんかんあと)
- 1.0.15 孔子廟
- 1.0.16 北柵御門(きたさくごもん)
- 1.0.17 武館跡
- 1.0.18 八卦堂(はっけどう)
- 1.0.19 弘道館記碑(絵葉書)
- 1.0.20 要石歌碑(かなめいしかひ)
- 2 弘道館情報
日本最大規模の藩校:弘道館(こうどうかん)
由緒
弘道館は水戸藩第九代藩主の徳川斉昭が設立した日本最大規模の藩校です。
儒学だけでなく、医学、兵学、武芸など実用的な科目も備えた、
総合大学といえるものでした。
入学年齢は十五歳で、卒業はなく、学問と武芸の両方が重視されました。
明治五年(1872年)に学制の発布により閉鎖され、県庁舎などに使用されました。
昭和三十九年(1964年)に国指定重要文化財になりました。
徳川斉昭像
弘道館から大手橋に至る道にある徳川斉昭像です。
徳川斉昭(とくがわなりあき)
国指定重要文化財:正門
天保十二年(1841年)の創建時に建てられました。
藩主の来館や諸儀式を行う時にのみ開門されるそうです。
最近では皇族の方が来館される時に開門されたそうです。
正門柱に残る弾痕(だんこん)
明治元年(1868年)の水戸藩内抗争の最大の激戦であった、
弘道館の戦いの弾痕が残っていました。
通用門
正門右側にある通常の出入口です。
正庁玄関(せいちょうげんかん)
広い式台が設けられた格式の高い構えの玄関です。
正庁では藩主臨席のもとで行われる文武の大試験や諸儀式が行われていました。
徳川斉昭自筆の『弘道館』扁額
徳川斉昭自筆の『弘道館』の扁額が掲げられています。
徳川斉昭公と七郎麻呂公(慶喜公)像
正庁玄関には徳川斉昭と幼い頃の徳川慶喜の像がありました。
諸侯会所
諸侯会所は来訪者の控えの間です。
掛け軸にある『尊攘』の字は、安政三年(1856年)に徳川斉昭の命で、
水戸藩医で能書家として知られる松延年(まつのべねん)が書いたものです。
国指定重要文化財:至善堂(しぜんどう)
『至善堂』の名称は徳川斉昭が命名しました。
藩主の休息所で諸公子の勉学所でもあり、徳川慶喜も幼少期はここで学びました。
通路
藩校時代に学生などが歩いた道路です。通路の先の洋風の建物は、
『水戸市水道低区配水塔』です。
土塁
弘道館建設の際、徳川斉昭は水戸城三の丸の改修を行い、土塁と堀を造成しました。
文館跡(ぶんかんあと)
今は梅林となっていますが、かつては学問を学ぶ文館がありました。
明治元年(1868年)の弘道館の戦いで焼失しました。
孔子廟
孔子廟は通常非公開です。儒学の祖である孔子を祀るために建てられました。
安政四年(1857年)に孔子神位が安置されました。
昭和二十年(1945年)八月の空襲で戟門(げきもん)と左右の土塀を残して焼失しましたが、
昭和四十五年に復元されました。
門前のカイノキは孔子の墓所に植えられたことに由来する学問の聖木です。
北柵御門(きたさくごもん)
弘道館の北側の門にあたります。北と南の門は、
教職と役人だけが通行を許され、学生は通用門から出入りしていました。
向かって左側の土塁は藩校当時からの貴重な遺構だそうです。
令和元年十二月に復元されました。
武館跡
現在の三の丸小学校はかつて武館がありました。
武館は明治元年の弘道館の戦いで焼失しました。
三の丸小学校の門は水戸城の冠木門(かぶきもん)として利用されています。
八卦堂(はっけどう)
建学精神を刻む弘道館記碑を収めています。
八卦堂は昭和二十年(1945年)の空襲で全焼し、昭和二十八年に復元されました。
弘道館記碑(絵葉書)
頂いた絵葉書に建学精神を刻んだ弘道館記碑がありました。
弘道館記は天保八年(1837年)に藤田東湖によって草案が作られた後、
多くの学者によって内容の検討が繰り返され、
天保九年三月に徳川斉昭の名で公表されました。
要石歌碑(かなめいしかひ)
徳川斉昭自筆の和歌、
『行く末も踏みなたがへそ蜻島(あきつしま)大和の道ぞ要(かなめ)なりける』
が刻まれています。神道を尊び、道徳を行く末まで伝えることが教育の要である、
という意味です。
八卦堂や要石歌碑の近くには弘道館鹿島神社があります。
弘道館情報
- 住所:茨城県水戸市三の丸1-6-29
- TEL:029-231-4725
- アクセス:JR水戸駅から徒歩8分
- HP:https://www.ibarakiguide.jp/kodokan.html
ご覧頂きましてありがとうございます。
寛政十二年(1800年)に生まれ、文政十二年(1829年)に水戸藩九代藩主となりました。
七男には江戸幕府十五代将軍の徳川慶喜がいます。
弘道館を設立し広く人材を登用しました。
ペリー来航に際し、幕政参与として、攘夷論を主張しましたが、
安政の大獄で水戸に永蟄居となり、万延元年(1860年)に六十一歳で亡くなりました。