Contents
- 1 東郷平八郎元帥銅像:秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)
- 1.0.1 西武秩父線・吾野駅
- 1.0.2 吾野駅前・社標
- 1.0.3 入口:東郷公園・石碑
- 1.0.4 霊峰二山飯能七福神
- 1.0.5 由緒
- 1.0.6 東郷元帥銅像・由緒
- 1.0.7 連合艦隊司令長官・東郷平八郎(写真:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
- 1.0.8 東郷元帥銅像
- 1.0.9 社標と赤い下駄
- 1.0.10 社務所
- 1.0.11 清貫一誠霊神銅像
- 1.0.12 境内案内図
- 1.0.13 参道階段
- 1.0.14 東郷元帥銅像への参道
- 1.0.15 砲弾と水雷
- 1.0.16 東郷元帥銅像参道鳥居
- 1.0.17 東郷元帥銅像遠景
- 1.0.18 東郷元帥銅像からの眺め
- 1.0.19 東郷元帥御手植えの松
- 1.0.20 弾痕の三笠甲板
- 1.0.21 銅像の横:無人の建物
- 1.0.22 中央広場への鳥居
- 1.0.23 東郷神社
- 1.0.24 至誠館
- 1.0.25 本殿遥拝処:ここから368段の階段で頂上本殿へ
- 1.0.26 頂上本殿への階段
- 1.0.27 階段遠景
- 1.0.28 頂上本殿直前の鳥居
- 1.0.29 頂上本殿
- 1.0.30 頂上本殿からの眺め
- 1.0.31 幸の鐘
- 1.1 摂社・末社
- 2 秩父御嶽神社のご朱印
- 3 神社情報
東郷平八郎元帥銅像:秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)
西武秩父線・吾野駅
西武秩父線吾野駅が最寄駅となります。ここから歩いて向かいました。
吾野駅の標高は185.5メートルあるようです。
吾野駅は山に囲まれた静かな場所でした。
吾野駅前・社標
吾野駅前には『御嶽山東郷公園』『御嶽山秩父御嶽神社』と書かれた社標がありました。
入口:東郷公園・石碑
石碑の字は、東郷平八郎銅像の除幕式に東郷平八郎とともに臨席した、
小笠原長生海軍中将によって書かれたものです。
霊峰二山飯能七福神
由緒
秩父御嶽神社は明治二十八年(1894年)に御嶽行者の鴨下清八が、
木曽御嶽山より御嶽大神を勧請し創建しました。
清八は十六歳の時に母が重い病にかかり、薬・医術も効が無く、神の力に頼るほかなしと、
御嶽信仰に入信し、修行を重ねました。その甲斐あって母の病は平癒しました。
その御神徳を深く信じ、秩父御嶽神社を祭祀しました。
東郷元帥銅像・由緒
鴨下清八は日露戦争の後、東郷平八郎元帥の精神を普及させようと、
銅像の建立を発案し、建設資金を募りました。
何度も東郷元帥邸を訪れ、銅像建立の許可を求めましたが、
未だかつて何処にも銅像の建立を許していなかった元帥は、
首を縦に振ろうとしませんでした。
その後熱意が元帥に伝わり、ついに許可を得ることが出来ました。
遂に銅像が完成し、大正十四年四月の除幕式には、
元帥自ら随伴者とともに臨席されました。
連合艦隊司令長官・東郷平八郎(写真:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
弘化四年(1848年)に薩摩藩士東郷吉右衛門の四男として生まれました。
日露戦争では連合艦隊司令長官として旗艦『三笠』を率い、
『皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮戦努力せよ』を意味するZ旗を掲げ、
ロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で破り、
日本を勝利に導く要因となりました。
東郷平八郎による連合艦隊解散の辞にある、
『勝って兜の緒を締めよ』というの言葉は有名です。
東洋の小国であった日本がロシアに勝ったという出来事は、
当時大国の植民地であった国々へ大きな勇気を与えたといいます。
東郷元帥銅像の前に『各員一層奮闘努力』と書かれた石碑がありました。
東京にあるJR山手線の原宿駅の近くには東郷平八郎を御祭神とした東郷神社があります。
東郷元帥銅像
神社入口から徒歩約5分のところに東郷元帥銅像があります。
社標と赤い下駄
鳥居を潜ると右側に社標と赤い下駄がありました。
社務所
最初の鳥居の左側には社務所があり、ここでご朱印を頂きました。
清貫一誠霊神銅像
開祖の鴨下清八は没後に『清貫一誠霊神』として祀られています。
境内案内図
頂上本殿までは徒歩で約25分、東郷元帥銅像までは約5分ということです。
摂社も多い為、境内案内図を写真で取り、確認しながら参拝しました。
参道階段
ここから本殿へ向かいます。途中に東郷元帥銅像があります。
東郷元帥銅像への参道
砲弾と水雷が狛犬のように鎮座していました。
砲弾と水雷
日露戦争時に、ロシア軍によって旅順港に敷設された、
日本海軍の入港を阻止するためにの水雷です。
ロシア軍のバルチック艦隊によって発射された砲弾です。
東郷元帥銅像参道鳥居
鳥居の先に東郷元帥銅像が見えます。
東郷元帥銅像遠景
除幕式の写真と同じ場所です。
除幕式に臨席された東郷元帥や開祖の鴨下清八の写真がありました。
東郷平八郎の生前に建てられた唯一の銅像だそうです。
東郷元帥銅像からの眺め
紅葉の季節もいいですが、新緑もなかなか良いものです。
東郷元帥御手植えの松
平成十一年の雪害が原因で、東郷元帥お手植えの松が枯れ落ちましたが、
実生の発芽に成功し、平成二十四年三月に移植されました。
弾痕の三笠甲板
元帥御手植えの松の隣に、日露戦争でバルチック艦隊と戦った、
連合艦隊の旗艦三笠の甲板の一部が展示されています。
蜂の巣状の弾痕が、戦いの凄さを物語っています。
銅像の横:無人の建物
銅像のある広場には無人の建物がありました。
中央広場への鳥居
階段を登り、鳥居をくぐると中央広場があります。
納札殿があります。右奥には東郷神社への階段があります。
東郷神社
鳥居をくぐり、階段を登ると東郷神社の社殿があります。
東郷神社は東郷平八郎が亡くなった翌年の昭和十年四月十七日に建てられました。
至誠館
東郷平八郎が来山の際、休息した建物で、至誠館と呼ばれています。
1階にはロシア製3インチ野砲(1901年製)が展示されています。
陸軍省から下賜されました。
至誠館は3階建ての建物のようです。
本殿遥拝処:ここから368段の階段で頂上本殿へ
ここから368段の階段を登ると頂上本殿になります。
階段を登らない参拝者はここが本殿遥拝処となります。
頂上本殿への階段
途中に数か所左右の摂社に進める道がありますが、
ここは最初に頂上本殿へ向かいます。
階段遠景
のぼり旗で階段の角度がわかります。かなり急な階段でした。
頂上本殿直前の鳥居
鳥居が見えるともうすぐ頂上本殿です。
頂上本殿
膝がガクガクになりながら頂上本殿へ到着しました。
木曾御嶽山を遥拝する向きに造営されました。
現在の社殿は平成十年に開山百周年を記念して建て直されました。
頂上本殿からの眺め
東京スカイツリーが見えることもあるそうです。
幸の鐘
階段を登りきった後に撞いた鐘の音は達成感に満ちあふれていました。
摂社・末社
大黒天社
頂上本殿から階段を下りて左側に大黒天社があります。
霊峰二社飯能七福神の大黒天が祀られています。
日本武尊社
大江大権現
阿留摩耶(あるまや)天社
阿留摩耶(あるまや)大権現が祀られています。
三笠山神社
祈祷殿
祈祷殿では毎月9・18・27日の10時より祈願が奉修されます。
乃木神社
陸軍大将の乃木希典が祀られています。
日露戦争では旅順要塞攻略の司令官でした。
明治天皇崩御の際は、夫妻で殉死しました。
東京メトロ乃木坂駅を最寄駅として乃木神社があります。
普賢行者
木曽御嶽山開闢(かいびゃく)霊神が祀られています。
一心行者
御嶽講祖神が祀られています。
清滝不動堂
八海山神社
乃木大将銅像
昭和四年十一月に銅像が建立されました。
水行舎
禊殿という看板があります。東郷元帥銅像の参道階段の左側にあります。
里宮遥拝殿
第二駐車場のそばにあります。
秩父御嶽神社のご朱印
令和五年拝受:秩父御嶽神社・ご朱印
令和五年拝受:東郷神社・ご朱印
令和五年拝受:霊峰二山飯能七福神・大黒天ご朱印
神社情報
- 住所:埼玉県飯能市坂石580
- アクセス:西武秩父線吾野駅徒歩25分
- HP:https://togo-koen.jp/
秩父御嶽神社周辺
吾野駅前:奥武蔵美晴休憩所
吾野駅前の『奥武蔵美晴休憩所』で昼食に肉うどんを頂きました。
ゆずの香りが良いアクセントで、美味しく頂きました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
飯能地方で古くから信仰されている『子ノ権現』と、
牛頭天王を祀る『竹寺』の霊峰二山を合わせて九つの寺社を巡るもので、
令和三年三月三日に発足しました。
第一番:恵比寿:廣渡寺(こうとじ)
第二番:弁財天:心應寺(しんのうじ)
第三番:寿老人:瀧泉寺(りゅうせんじ)
第四番:毘沙門天:長念寺(ちょうねんじ)
第五番:福禄寿:興徳寺(こうとくじ)
第六番:布袋尊:法光寺(ほうこうじ)
第七番:大黒天:秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)
第八番:霊峰二山・子の権現:天龍寺(てんりゅうじ)
第九番:霊峰二山・牛頭天王:八王子【竹寺】
専用の御朱印帳はありませんでした。
七福神のご朱印は通年頂くことができます。