群馬県館林市:徳川四天王・初代館林藩主・榊原康政:館林城の御城印と榊原康政の武将印

里沼・城沼(じょうぬま):尾曳城(おびきじょう):館林城(たてばやしじょう)

尾曳城(おびきじょう)の伝説

大袋城主であった赤井照光子キツネを助けたことから、
恩に報いるために親キツネが縄張りを行ったという伝説があります。
縄張りキツネの尾によって曳かれたことから尾曳城(おびきじょう)名付け
弘治二年(1556年)に竣工したと伝えられます。

実際には築城当時の記録は発見されていません。

由緒

享徳の乱の中、文明三年(1471年)に、長尾景信・景春父子長尾忠景上杉軍が、
足利成氏側赤井文三・文六居城である「立林(館林)城」攻略したという記録があります。

その後戦国時代になり、上杉謙信北条氏により攻略されましたが、
徳川家康関東入府に伴い、徳川四天王の一人、榊原康政十万石領主になりました。

江戸幕府四代将軍である徳川家綱徳川綱吉二十五万石入封しました。

延宝八年(1680年)綱吉五代将軍となると、息子徳松家督を継ぎますが、
天和三年(1683年)徳松が急死すると、廃藩となり天領となりました。
館林城も廃城となりました。

その後宝永四年(1707年)六代将軍徳川家宣松平清武入封すると、
館林城は規模を縮小して再築されました。

城の建物の大半明治七年(1874年)焼失しました。

三の丸土橋門

三の丸土橋門昭和五十八年(1983年)城壁とともに復元されました。

土橋門という名の由来は、門前内堀に架けられた「土橋」からきたといわれています。

土橋門のそばには井戸もありました。

三の丸に残る土塁

三の丸には現在も江戸時代の土塁が残っています。

三の丸

現在の三の丸には館林市市民会館(カルピスホール)があります。

三の丸:城沼墾田碑(じょうぬまこんでんひ)

城沼墾田碑明治三十六年(1903年)建立され、
明治期秋元氏が行った士族授産事業としての城沼墾田事業を記念したものです。

城沼(じょうぬま)

尾曳橋(おびきばし)から見た城沼です。

館林城城沼要害とした城で、沼に突き出た台地の地形を巧みに利用して造られました。

舘林の里沼は沼ごとに特性が異なります。
城沼館林城つつじの名勝地を守ってきた『守りの沼』
沼の恵みが暮らしを支えた多々良沼『実りの沼』
里沼の原風景と信仰が共存する茂林寺沼『祈りの沼』といわれています。

つつじが岡公園から見た城沼です。

二の丸橋

二の丸には現在、館林市役所が建っています。
鶴生田川(つるうだがわ)には二の丸橋という橋が架かっています。

本丸

本丸館林城夢ひろばとなっています。

本丸には向井千秋記念子ども科学館が建っています。

本丸には土塁や石垣が残っています。

現在は本丸南側の土塁の一部が残っています。

徳川綱吉城主であった時代には、三重の櫓(天守)が建っていたようです。

八幡宮(八幡曲輪跡)

本丸土塁の上には八幡宮があります。かつて八幡曲輪があったようです。

秋元春朝投網の像

秋元春朝が池に向かって投網している像は、大正八年(1919年)建立されました。

館林城最後の城主秋元氏で、
秋元礼朝の時に明治維新を迎えました。その後興朝・春朝・順朝と続きました。

本丸には秋元神社もありました。

旧秋元別邸

館林城八幡曲輪に建っている旧秋元別邸は、明治末期に建てられました。
秋元興朝とその子・春朝別邸として使用していました。

和風の木造建築の離れが洋風という珍しい造りとなっていました。

館林城の御城印

館林城:徳川版御城印

尾曳城:秋限定御城印

徳川四天王・榊原康政:武将印

館林城御城印帳

御城印販売所:つつじが岡公園ふれあいセンター

御城印つつじが岡公園内のつつじが岡ふれあいセンターで購入しました。

群馬御城印プロジェクト

館林城以外にも『群馬御城印プロジェクト』として、
色々なデザインの御城印が発売されています。
高崎城(高崎市)厩橋城・前橋城(前橋市)を訪問しています。

復元図と古地図が展示されていました。

館林城情報

  • 住所:群馬県館林市城町4−32
  • アクセス:東武伊勢崎線館林駅東口渡瀬巡回線・東巡回線第二小学校西バス停下車
         徒歩約8分(土橋門着)

周辺に残る館林城の史跡

青龍の井戸

館林駅東口から7分程歩く『青龍の井戸』と書かれた看板と神社がありました。
入口には『葵の御紋』が見られます。

青龍の井戸江戸時代には福寿院(現在は廃寺)境内にあり、
延宝年間(1673年~1681年)に突然清水が湧きあがり、
中から女官姿『清龍権現』が姿を現わしたことから、
『青龍の井戸』と呼ばれるようになったそうです。

この話を聞いた徳川綱吉生母・桂昌院は、
井戸の傍らに「清瀧権現社」再建したといわれ、
綱吉五代将軍になると十石の朱印地寄進しました。

「青龍の井戸」「城沼」と、
善導寺境内の「竜の井」つながっていたという伝説もあります。

館林城周辺

東武伊勢崎線・館林駅

平成十年関東の駅百選に選ばれた館林駅舎は、
昭和十二年(1937年)改築されたものだそうです。

巨人軍栄光の初Vの原点:分福球場記念碑

館林駅からひとつ南の茂林寺前駅西側分福球場がありました。
昭和十一年秋季キャンプで使用され、初Vの原点になったそうです。

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