四天王寺別院:愛染明王:愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)
愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)は、
聖徳太子が創建した四天王寺にある施薬院(せやくいん)が、
後に勝鬘院と呼ばれるようになりました。
西国愛染十七霊場
専用の御朱印帳で巡拝しました。
由緒
平安時代に愛染明王が祀られるようになると、愛染堂とも呼ばれるようになりました。
元亀元年(1570年)から天正八年(1580年)まで戦われた、
織田信長と石山本願寺との石山合戦で伽藍は焼失しますが、
慶長二年(1597年)に豊臣秀吉によって伽藍が復興され、
多宝塔が再建されました。
慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣で再び戦火に遭いますが、
元和四年(1618年)に江戸幕府二代将軍の徳川秀忠によって金堂が再建されました。
太平洋戦争の大阪大空襲で近隣の大江神社や四天王寺は焼失しますが、
愛染堂勝鬘院は被害を免れました。
薬医門
金堂
元和四年(1618年)に江戸幕府二代将軍の徳川秀忠によって再建されました。
多宝塔
推古天皇元年(593年)に聖徳太子によって創建され、
慶長二年(1597年)に豊臣秀吉によって再建されました。
高さ二十二メートルある大阪市内最古の木造建築物です。
大力金剛尊
大力金剛尊は清王朝時代のもので、大正時代に活躍した大阪市天王寺区出身の横綱、
大錦が満州巡業の折りに、自身の守護神として中国から持ち帰った仏像です。
昭和二十五年に大阪国技館から愛染堂に遷されました。
スポーツや勝負事に霊験あらたかです。
七福神
愛染堂勝鬘院のご朱印
平成十八年拝受:西国愛染十七霊場第一番札所・ご朱印
平成二十六年拝受:西国愛染十七霊場第一番札所・ご朱印
令和五年拝受:西国愛染十七霊場第一番札所・ご朱印
平成十八年拝受:大日如来・ご朱印
令和五年拝受:大日如来・ご朱印
令和五年拝受:聖徳太子・ご朱印
寺院情報
- 住所:大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
- アクセス:大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅徒歩約2分
- HP:https://www.aizendo.com/
愛染堂勝鬘院周辺
愛染坂(あいぜんざか)
大阪星光学園中学校・高等学校の校舎と大江神社の鳥居の間に愛染坂があります。
坂の手前にある愛染堂勝鬘院から名付けられました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県・三重県・岡山県を結ぶ、
愛染明王を祀る十七箇所の霊場です。平成五年に設立されました。