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大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり:大丸天神:安居神社(やすいじんじゃ)
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり
専用の御朱印帳というよりも、御朱印を頂けるスペースのあるガイドブックです。
大坂の陣の各地の戦いと寺社とのゆかりについてわかりやすく解説されています。
御祭神
少彦名神(すくなひこなのみこと)
菅原道真公
素戔嗚命(すさのおのみこと)
由緒
創建年は不明で、四天王寺の創建と同じ時期という説もあります。
菅原道真が太宰府に流される時、風待ちの為に、
ここで休息(安居)をとったため、その名がついたという伝承もあります。
江戸時代、大丸の創業者である下村彦右衛門正啓がよく信仰していたことから、
大丸天神とも称されることがあります。
その後も大丸の歴代経営者の信仰篤く、例祭などは大丸が取り仕切っているそうです。
社殿
昭和二十年の空襲で全焼しましたが、
昭和二十六年に大丸をはじめとした関係者の寄進により、
社殿・社務所が復興されました。
真田幸村戦死の地
慶長二十年(1615年)の大阪夏の陣で徳川軍と対峙した真田幸村は、
大軍の前に力尽き、境内で負傷した身体を休めていたところ、
越前藩主の松平忠直の家臣、鉄砲頭の西尾久作によって討ち取られました。
幸村の座像は戦いを終えて兜を脱ぎ、刀を置いて休んでいる姿です。
宮司様から建立のメッセージです。
大坂夏の陣:天王寺口の戦い
慶長二十年五月七日正午頃に、四天王寺南門前に陣取る豊臣側の毛利勝永の兵らが、
徳川方の先鋒の本多忠朝隊を銃撃して始まりました。
この戦いで本多忠朝は討死しました。
有名な真田幸村の徳川家康本陣への突撃により、家康本陣は大混乱に陥り、
家康は二度自害しようとしたといわれています。
しかし大軍に押された真田隊は次第に退却せざるを得なくなりました。
かんしずめの井
社務所の横にかんしずめの井への入口があります。
現在は四囲の状況で枯渇の状態にあるようです。
天神坂
安居神社の北側には『天神坂』があります。
北側に安居神社の入口があります。
近畿三十六不動尊霊場二番札所の清水寺からすぐの場所です。
異体字
石柱に彫られている『昭和』の「和」の字が逆さ文字ともいわれ、
厄払いの意味があるといわれています。異体字は読みや意味、
用法などには違いが無いが、表記に差異がある文字です。
西鳥居
松屋町筋側鳥居
逢坂
安居神社の南入口には『逢坂』があります。
通天閣がはっきり見えます。
松屋町筋終点の合法ヶ辻から東へ上がって四天王寺の西門へ至る坂です。
安居神社のご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印
令和五年拝受:ご朱印
社務所の横には『真田十勇士』の案内があります。
神社情報
- 住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3-24
- アクセス:大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅徒歩6分
ご覧頂きましてありがとうございます。
大坂の陣から四百年を記念して発刊されました。
ガイドブックとご朱印帳が一冊の本となっています。
大阪城天守閣の北川央館長の監修により、大阪府と奈良県大和郡山市にある、
大坂の陣ゆかりの二十五社寺を巡ります。