豊臣秀頼公銅像:玉作岡:大坂城鎮守神:玉造(たまつくり)稲荷神社
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり
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御朱印を頂けるスペースのあるガイドブックです。
大坂の陣の各地の戦いと寺社とのゆかりについてわかりやすく解説されています。
由緒
垂仁天皇十八年(紀元前十二年)の秋に創祀されたと伝えられ、用明天皇三年に改築されました。
蘇我氏と物部氏の争いの際は、蘇我氏方の聖徳太子が、玉作岡と呼ばれるこの地に布陣し、
戦勝を祈願し、戦勝後に観音堂を建てたという伝承があります。
天正四年の兵乱によりことごとく焼失しましたが、
豊臣秀頼により社殿と舞台が再建されました。
大坂の陣で再び被害を受けますが、元和五年に江戸幕府の大坂城代である内藤紀伊守をはじめ、
氏子・崇敬者の寄進を以って再建され、『大坂城の鎮守神』として崇敬されました。
文久三年の大坂大火を経て、明治四年に氏子・崇敬者によって再建されました。
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鳥居
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三月末に訪問しましたが、桜が綺麗に咲いていました。
社殿
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昭和二十年の大阪大空襲で焼失しましたが、昭和二十九年(1954年)に再建されました。
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胞衣(よな)塚大明神
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豊臣秀頼と淀殿を結ぶ胎盤・卵膜などが鎮まっています。
玉造の地を転々としましたが、大坂城鎮守神である玉造稲荷神社へ鎮座されました。
豊臣秀頼公銅像
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平成二十三年(2011年)の大阪城築城八十周年の節目の年に、除幕竣工されました。
高さは銅像三メートル、台座三メートルです。
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肖像画などからひ弱なイメージがありますが、
実際の豊臣秀頼は、『大兵にて御丈六尺五寸余り』(明良洪範)と書かれるように、
身長約197センチの巨体であったといわれ、帝王学を学んだ聡明な人物であったようです。
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豊臣秀頼公奉納鳥居
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慶長八年(1603年)に豊臣秀頼によって奉納されました。
平成七年(1995年)の阪神・淡路大震災によって基礎が損傷し、
鳥居としての役割を終えました。
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難波・玉造資料館
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境内には『難波・玉造資料館』があります。上町台地の東端に位置するこの地は、
大和朝廷にの玉作部(たまつくりべ:三種の神器の玉類などを製作)の居住地であったと、
伝えられています。
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昭和六十一年(1986年)の秋に開館されました。玉作り資料が公開されています。
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千利休を偲ぶ『利休井』
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神社の付近には前田利家の屋敷を始め、茶匠・千利休も屋敷を構えていました。
利休屋敷には『利休井』があったと伝えられ、
古くより『玉造清水』と呼ばれる良質の水脈を使い、茶の湯文化が育まれていました。
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周辺には、利休門人の細川越中守忠興(三斎流)の『越中井』もあります。
江戸時代中頃には神社境内北側(現・玉造小学校)で酒造りが行われおり、
灘・伏見・伊丹とともに酒造りが栄えていたそうです。
千利休居士顕彰碑
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境内には『千利休居士顕彰碑』もありました。
萬慶(まんけん)稲荷社・新山(しんやま)稲荷社
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境内には豊臣家が大坂城内で祀っていた『萬慶(まんけん)稲荷社』と、
松平輝和が清水谷の大坂城代下屋敷で祀っていた『新山(しんやま)稲荷社』がありました。
夫婦銀杏
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近松門左衛門の碑
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社標
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大和橋通りと稲荷中町筋の交差点側にも神社の入口があります。
浪花名産のひとつ:玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)
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玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)は、大坂城の玉造門が黒塗りであり、
江戸時代にこの門付近で栽培されたことから名付けられました。
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玉造の有力町人であった高津屋吉右衛門家は、
代々玉造平野口町(現・中央区玉造1丁目)に住み、神社付近に多くの畑を持ち、
この畑で越瓜(しろうり)を栽培しました。
玉造稲荷神社のご朱印
平成十八年拝受:ご朱印
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令和五年拝受:ご朱印
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ご朱印の『玉作岡』は古来の地名です。
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平成二十六年拝受:大坂の陣ゆかりの地朱印巡り・ご朱印
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授与品:勾玉栞
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神社情報
- 住所:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
- アクセス:大阪メトロ長堀鶴見緑地線・JR大阪環状線玉造駅徒歩約6分
- HP:https://www.inari.or.jp/
ご覧頂きましてありがとうございます。
大坂の陣から四百年を記念して発刊されました。
ガイドブックとご朱印帳が一冊の本となっています。
大阪城天守閣の北川央館長の監修により、大阪府と奈良県大和郡山市にある、
大坂の陣ゆかりの二十五社寺を巡ります。