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秋津神社(あきつじんじゃ)
令和六年七月現在、社務所は無人でご朱印の授与はされていないようです。
由緒
創立由緒は不明ですが、元弘の戦いの際に、
新田義貞が日本武尊の武威を慕ってこの地に陣を張り、不動像をかけて祈念したことから、
後に不動像を安置して鳥居を設けて祀ったことが創始といわれています。
鳥居
JR武蔵野線新秋津駅から徒歩2分のところに神社があります。
社殿
現在の本殿は文政四~五年(1821年~22年)の間、
あるいは文化七年(1810年)に本殿が再建されたといわれています。
本殿
拝殿の裏には建物に覆われた本殿がありました。
本殿内には石造舟型の不動尊像があり、入間郡安松の長源寺の住僧宝応が、
元禄十二年(1699年)四月に寄進したことが記されています。
庚申塔お堂
境内
境内には例大祭の盆踊りのやぐらが設置されていました。
摂社
令和六年七月例大祭
令和6年7月28日の例大祭は多くの人で賑わっていました。
神楽殿では秋津はやし連の『まつりばやし』が演奏されていました。
秋津・新秋津引き込み線
秋津・新秋津引き込み線
秋津神社の裏には単線の線路があります。
JR武蔵野線新秋津駅と西武池袋線秋津駅の間にはかつて貨物列車が直通していました。
平成八年(1996年)に西武鉄道の貨物列車が廃止された後も、
西武鉄道への新型車両を運ぶ際や、
また西武鉄道の車両を改造するために車両メーカーに運ぶ際などに使われるそうです。
中島飛行機武蔵製作所工場引き込み線橋台跡(東京都武蔵野市)
中島飛行機武蔵製作所工場引き込み線橋台跡
現在の都立武蔵野中央公園(東京都武蔵野市八幡町2-4-22)から市役所あたりには、
かつて戦前の日本を代表する航空機メーカーであった、
中島飛行機株式会社武蔵野製作所という軍需工場がありました。
武蔵境駅から工場までの引き込み線が敷設されました。
戦後、昭和二十六年(1951年)に工場跡の一角に、
「東京スタジアムグリーンパーク野球場」が開設され、プロ野球観戦などの観客輸送のため、
引き込み線は敷き直され、三鷹駅からの国鉄「武蔵野競技場線」として生まれ変わりました。
しかし間もなく野球場は閉鎖され、引き込み線も昭和三十四年(1959年)に廃止されました。
現在の場所には、かつての軍需工場の遺構として、
唯一コンクリート製の橋台だけが残りました。「ぎんなん橋」のそばにあります。
新秋津駅ご朱印
武蔵野線五十周年企画:駅御朱印あつめ
令和五年(2023年)に武蔵野線五十周年企画として、「駅御朱印」が配布されました。
JR武蔵野線・新秋津駅
新秋津駅は西武池袋線との乗り換え駅のため、乗降客が多く、
駅周辺には飲食店などもたくさんあります。
令和五年拝受:ご朱印
券売機で千円をチャージし、改札で書置きを頂きました。
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