民部屋敷:北条時房邸跡(ほうじょうときふさていあと)
若宮大路の『北条小町邸跡』を段葛を挟んで反対側に、
鎌倉幕府有力御家人ので三代執権の北条泰時の時代に連署となった、
北条時房の屋敷跡があります。

鎌倉幕府有力御家人:北条時房(ほうじょうときふさ)
北条時房
北条時房屋敷跡

現在は店舗となっており、ビルの名前は『小池ビル』として、
現在の当主が管理をしているようです。

最初は源頼朝の招請により、治承四年に摂津守小池民部太夫藤原久時が、
鎌倉に下向し、此の地に住み、鎌倉神楽の伝承家として、
鶴岡八幡宮の社官となりました。

その後数代は北条時房の一族の屋敷となりますが、
七代目の小池民部時芳より民部屋敷として、今日に至るようです。
当時は約二千坪あったそうです。

北条時房邸跡情報
- 住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下1-9
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩7分
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安元元年(1175年)に鎌倉幕府の初代執権の北条時政の子として生まれました。
北条義時、北条政子の異母弟にあたります。兄の義時を助け、
承元三年(1209年)には政所別当に任じられました。
承久三年(1221年)の承久の乱では北条泰時とともに東海道を進軍して上洛し、
戦後は泰時とともに京に留まり、初代六波羅探題(ろくはらたんだい)南方になります。
北条義時の死後、三代執権となった北条泰時を補佐する為に請われて、
初代連署(れんしょ)となりました。延応二年(1240年)死去。享年六十六でした。