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得宗屋敷跡:北条小町邸跡(ほうじょうこまちていあと)
鎌倉駅東口を出て、鶴岡八幡宮のそばに『北条小町邸跡』と呼ばれる遺構が展示されています。
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鎌倉駅東口には、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の垂れ幕がありました。
鎌倉幕府有力御家人:三代執権:北条泰時(ほうじょうやすとき)
北条泰時の屋敷があったといわれています。
北条小町邸跡への案内看板
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鶴岡八幡宮に向けて右側の歩道を歩くと『遺構保存展示中』の案内看板が目印です。
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北条小町邸跡
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ガラス張りのおかげで遺構の様子がよくわかります。
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木材やかわらけ(素焼きの土器)がそのままの状態で保存されています。
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目の前にある『侍気分』の店主さんの説明によると、
儀式で使ったかわらけの為、一度使われると廃棄されるので、
綺麗に保存されているようです。
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由緒
遺構のある若宮大路周辺や東側の滑川(なめりかわ)に至る一帯は北条氏の屋敷が多くあり、
ここは特に本家筋の得宗(とくそう)の屋敷があったといわれています。
東側にある宝戒寺も二代執権の北条義時以来の執権屋敷があったといわれています。
『侍気分』
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遺構のそばにあり、店主さんに色々と説明を頂きました『侍気分』さんにて、
北条氏のデニムポーチを購入しました。
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赤い紐は真田紐(さなだひも)で、生地は倉敷デニムで作られているそうです。
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紙袋も侍の図案になっていました。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の和田義盛役:横田栄司さんのサイン
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2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で鎌倉幕府有力御家人の和田義盛役を演じた、
横田栄司さんも来店されて、サインが展示されていました。
(店主さんからは自由に写真を撮ってくださいとおっしゃって下さいました)
遺構住所
- 住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下1-12-5
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩6分
ご覧頂きましてありがとうございます。
鎌倉幕府二代執権の北条義時の長男として生まれました。
建仁二年(1202年)に三浦義村の娘を正室に迎えました。
父と共に、鎌倉幕府有力御家人である比企能員や和田義盛を討伐し、
承久三年(1221年)の承久の乱では幕府軍の総大将として上洛し、
後鳥羽上皇の軍を破りました。
父・義時の死後、伯母である北条政子の後見で三代執権となり、
貞永元年(1232年)に全五十一ヶ条からなる『御成敗式目』を制定し、
武士社会に必要な法典を整備しました。
仁治三年(1242年)に六十歳で亡くなりました。