検索: 鎌倉の史跡・墓所2022.08.252023.03.17神奈川県鎌倉市:文覚上人屋敷跡(ご朱印無し) Contents1 鎌倉雪の下:文覚上人屋敷跡1.0.1 文覚上人(もんがくしょうにん)1.0.2 文覚上人屋敷跡1.0.3 文覚上人屋敷跡の碑2 文覚上人屋敷跡:情報 鎌倉雪の下:文覚上人屋敷跡 文覚上人(もんがくしょうにん) 文覚上人 源頼朝にゆかりのある人物です。後白河天皇より伊豆に流された際、同じく配流の身であった頼朝の知遇を得ました。頼朝により平家が倒された後は、鎌倉では江島神社の弁財天を勧請しました。頼朝の死後は様々な政争に巻き込まれ、佐渡に配流された後、許されて京に戻りましたが、翌年対馬に配流の際、鎮西にて客死しました。 関連記事神奈川県藤沢市:江の島七福神・弁財天:江島神社のご朱印2023.03.19 文覚上人屋敷跡 大御堂橋から勝長寿院跡に向かう道すがらにあります。 関連記事神奈川県鎌倉市:源頼朝ゆかりの地:勝長寿院跡(ご朱印無し)2023.03.17 目の前にある滑川は古くは坐禅川と呼ばれましたが、名前の由来は文覚上人にちなんで名付けられたといわれています。 文覚上人屋敷跡の碑 文覚上人屋敷跡:情報 住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下4-5-1 アクセス:JR鎌倉駅下車「鎌20」「鎌24」等バス乗車『岐れ道』バス停下車徒歩2分 ご覧頂きましてありがとうございます。
源頼朝にゆかりのある人物です。
後白河天皇より伊豆に流された際、同じく配流の身であった頼朝の知遇を得ました。
頼朝により平家が倒された後は、鎌倉では江島神社の弁財天を勧請しました。
頼朝の死後は様々な政争に巻き込まれ、佐渡に配流された後、
許されて京に戻りましたが、翌年対馬に配流の際、鎮西にて客死しました。