全国東照宮めぐり:権現さん:水戸東照宮(みととうしょうぐう)
茨城十二社
茨城十二社:御朱印帳
全国東照宮めぐり
昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
『全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年の徳川家康没後四百年忌にご朱印帳が作成されました。
『全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。
全国東照宮めぐり:御朱印帳
由緒
元和七年(1621年)に水戸藩初代藩主の徳川頼房が、
父親である徳川家康を祀ったのがはじまりです。
大照寺が別当となり、
創建以来仏式で祭祀が行われていました。
天保十四年(1844年)に九代藩主の徳川斉昭により寺僧が罷免され、
神式に改められました。
家康を祀る東照宮を寺院整理の対象とした為、幕府などからの批判を受け、
後の斉昭隠居の一因となったとされます。
昭和十一年(1936年)に徳川頼房が配祀されました。
社殿
戦前の社殿は国宝に指定されていたのですが、空襲で焼失しました。
昭和三十七年に社殿その他境内が再建されました。
東照宮は日光をはじめとして全国各地にありますが、
徳川御三家の東照宮だけに焼失前はどれほど豪華であったのでしょうか。
その後東日本大震災でも被災しましたが、復旧がすすめられています。
御祭神
徳川家康公(東照公)
徳川頼房公(威公):配祀
御神徳
家康公は「和」の心を重んじていたことから『家内安全』
戦国の世を泰平の世にまとめた結びの神として『縁結び』
家康公が薬学・医学書に精通し、自ら薬を調合し様々病気を治した逸話から、
『身体健全』『病気平癒』その他様々な御神徳があります。
旧宮下町側鳥居と社標
大鳥居
南側の鳥居です。ビルにある葵の御紋が目印となります。
東日本大震災で倒壊しましたが、平成三十年(2018年)に再建されました。
国道側鳥居
十八ポンドカノン砲(復元)
幕末に海防の為に水戸藩が幕府に献上したカノン砲が復元されました。
安神車(あんじんしゃ)
徳川斉昭が作らせた鉄製の戦車です。
実際に使われたかどうかは不明ですが、国防の意識の高さが伺えます。
銅造燈籠
徳川頼房が徳川家康の三十三回忌にあたる慶安四年(1651年)に造らせたものです。
常葉山時鐘(ときわやまじしょう)
寛文七年(1667年)にこれまで水戸城における太鼓の時報の代わりに、
徳川光圀の命により、鋳造された銅鐘です。
境内
安神車写シ銅造移動式茶室:藤森照信氏奉納
安神車をイメージして作られた移動式茶室です。
建築家の藤森照信氏(江戸東京博物館館長)の作品です。
天満宮
水戸東照宮のご朱印
平成二十七年拝受:ご朱印
令和三年拝受:ご朱印
神社情報
- 住所:茨城県水戸市宮町2-5-13
- アクセス:JR水戸駅から徒歩10分
- HP:https://gongensan-mito-toshogu.jp/
水戸東照宮周辺
水戸黄門神社
水戸黄門の呼び名で有名な徳川光圀の生誕の地に、水戸黄門神社が建てられています。
徳川光圀は初代水戸藩主徳川頼房の第三子で、
寛永五年(1628年)に家老三木仁兵衛之次の屋敷で生まれました。
家老三木仁兵衛之次は常盤神社の境内に三木神社の御祭神として祀られています。
水府提灯(すいふちょうちん)(水戸駅前)
水府とは水戸藩の異称のことです。
水戸は岐阜、八女(やめ)と並んで日本三大提灯産地と称されるようになりました。
大銀杏
水戸東照宮の国道側の鳥居を出て、反対側にあります。
水戸空襲を生き残った大銀杏です。戦後復興のシンボルとなっています。
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茨城県にある十二社を巡るものです。御朱印帳は笠間稲荷神社で頂けます。
専用のご朱印帳ではありませんので、ご朱印は十二社以外の神社でも頂けます。