神奈川県三浦郡葉山町:源頼朝・和田義盛ゆかりの地:森戸大明神のご朱印

葉山郷総鎮守:森戸大明神(もりとだいみょうじん)

『森戸の夕照(もりとのせきしょう)』かながわ景勝五十選に選ばれています。

鎌倉幕府初代将軍:源頼朝(みなもとよりとも)

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

鎌倉幕府初代将軍源頼朝は信奉する三島明神(三嶋大社)御分霊を勧請し、
森戸大明神建立しました。

鎌倉幕府有力御家人・和田義盛ゆかりの地

和田義盛

久安三年(1147年)三浦義明の子である杉本義宗の子として生まれました。
源頼朝の挙兵に参加し、鎌倉幕府初代侍所別当になりました。
『比企能員の乱』『畠山重忠の乱』では北条方につきましたが、
『和田義盛の乱(和田合戦)』を起こし、討死しました。

衣笠城へ向かう途中の源頼朝は、千貫松を見て、『如何にも珍しき松』褒めたところ、
出迎えた和田義盛「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」答えたと、
言い伝えられています。

由緒

平家を倒し鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、信奉する三島明神(三嶋大社)御分霊勧請し、
神社を建立しました。

鎌倉幕府の歴代将軍自らこの地を訪れ流鏑馬、笠懸、相撲等の武事を行いました。

源氏はもとより三浦、北条、足利諸氏崇敬も篤く
天正十九年(1591年)には徳川家康より社領が寄進されました。

延宝二年(1674年)には徳川光圀が、
明治二十五年(1892年)には英照皇太后(孝明天皇の后)参拝しました。

朱色の鳥居

県道207号線森戸海岸線のからの入口です。

参道

森戸海岸に近い場所からか、参道にはサーフショップもありました。

社殿

本殿葉山町の重要文化財に指定されています。

おせき稲荷

おせき稲荷は古来より「せきが止まらない人」また、
「のどを使う職業の人」たちの篤い信仰があります。

総霊社

総霊社英霊、祖霊を始め多くの霊が祀られています。

水天宮

石碑には『まいられよ 子宝の福 さづかりに』刻んであるようです。

千貫松

衣笠城へ向かう途中の源頼朝は、千貫松を見て、『如何にも珍しき松』褒めたところ、
出迎えた和田義盛「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」答えたと、
言い伝えられています。

飛柏槇(ひびゃくしん)

元暦元年(1184年)源頼朝が参拝の折、三島明神から飛来発芽したものと伝えられます。

みそぎ橋

鎌倉時代七瀬祓の霊所と定められ、事あるごとにお祓いみそぎが行われたと、
吾妻鏡には記されています。

庚申塔

子寶石納所

神社の授与品である子宝石は、無事出産の後、お宮参りの際に納所に奉納されるそうです。

一年安鯛みくじ

色とりどりの鯛みくじが並んでいました。

奉納樽

奉納砲弾

森戸大明神周辺

境内のそばには森戸川の河口があります。

江の島遠景

境内からは江の島を見ることができます。

石原裕次郎記念碑

平成元年七月に昭和の大スターで、湘南で青春を過ごした石原裕次郎さん記念碑が、
石原慎太郎さんによって建てられました。

名島の鳥居と葉山灯台

右側の赤い鳥居『名島の鳥居』というそうです。
左側の白い灯台『葉山灯台(裕次郎灯台)』です。

葉山灯台石原裕次郎さん三回忌を偲び、
石原慎太郎さん約1億円の基金を集めて建設しました。

森戸大明神のご朱印

森戸大明神:ご朱印

神社情報

  • 住所:神奈川県三浦郡葉山町堀内1025
  • アクセス:JR逗子駅下車葉山一色行き(海岸回り)バス乗車森戸神社バス停下車
  • HP:https://www.moritojinja.jp/index.html

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