【史跡訪問】神奈川県足柄下郡真鶴町:鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地:しとどの窟(真鶴)

しとどの窟(いわや)

源頼朝(みなもとのよりとも)

源頼朝

清和源氏の嫡流である河内源氏源義朝三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、
北条政子との婚姻を期に、平家打倒に挙兵しました。
その後鎌倉幕府初代将軍となりました。
これにより東国独立した武家政権が開かれました。
建久九年(1198年)相模川橋供養の帰りに体調不良からの落馬が原因で、
五十二歳亡くなりました。

しとどの窟(いわや)

波の浸食でできた海食洞(かいしょくどう)は、『しとどの窟(いわや)』と呼ばれています。
治承四年(1180年)石橋山の戦い平家に敗れた源頼朝は、箱根山中や、
湯河原のしとどの窟などを経て、真鶴のしとどの窟に身を隠しました。

頼朝ら一行窟に逃げ込んだ際に、追っ手が窟を覗くと、
「シトト」といわれる鳥(ホオジロの一種)急に飛び出してきたので、
人影がないものとして追っ手が立ち去ったことから、この名が付いたといわれています。

頼朝ら七名岩海岸(源頼朝船出の浜)から安房国(源頼朝上陸地)逃れました。

弁財天

しとどの窟のそばには弁財天が祀られています。目の前には真鶴港がありました。

品川台場礎石之碑

しとどの窟の前には、品川台場の遺跡がありました。
品川台場埋め立てられ消滅する際、礎石が移されました。

礎石の大石真鶴産出の名石であったことが、礎石の一部を移した理由だそうです。

しとどの窟(真鶴)情報

  • 住所:神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1042-4
  • アクセス:JR真鶴駅徒歩約18分

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