東京都港区:旧徳川将軍家霊廟:増上寺御霊屋のご朱印

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旧国宝:増上寺御霊屋(おたまや)

増上寺には徳川将軍家の墓所である徳川家御霊廟があります。

徳川将軍家墓所

埋葬されている徳川家の方々

埋葬されている将軍と兄弟

二代将軍徳川秀忠
六代将軍徳川家宣
七代将軍徳川家継
九代将軍徳川家重
十二代将軍徳川家慶
十四代将軍徳川家茂
徳川綱重五代将軍徳川綱吉の兄家宣の父でもある甲府宰相

埋葬されている将軍正室

秀忠夫人崇源院
家宣夫人天英院
家斉夫人広大院
家定夫人天親院
家茂夫人静寛院(皇女和宮)

埋葬されている将軍側室と子女

家光側室桂昌院
家宣側室月光院など五人
その他将軍の子女を含む三十八人祀られています。

他の将軍の霊廟久能山東照宮日光東照宮と日光山輪王寺、上野寛永寺にあります。
(十五代将軍徳川慶喜谷中寛永寺墓地にあります)

増上寺霊廟戦前には国宝に指定されていた壮麗な霊廟でしたが、
二度にわたる空襲の被害を受け焼失致しました。

戦後しばらくは荒廃していましたが、昭和三十三年からの学術調査が行われ、
のちに桐ケ谷斎場にて荼毘に付され現在地に改葬されました。

御霊屋建立禁止令』:八代将軍徳川吉宗

八代将軍徳川吉宗は「御霊屋建立禁止令」を出し、
以降大規模な霊廟は建築されず
寛永寺増上寺のいずれかの霊廟合祀し、宝塔霊牌所建立されました。

焼失前の御霊屋の写真

明治期の御霊屋図

焼失前の御霊屋南北にわかれており、
現在の東京プリンスホテルから、
東京プリンスホテルパークタワー・芝公園まで至る広さでした。

二代将軍徳川秀忠公・お江の方廟所

二代秀忠公(台徳院殿)宝塔(石塔)

秀忠公の宝塔は焼失したため、妻である崇源院(お江の方)石塔に合祀されています。

台徳院霊廟「惣門」(国指定重要文化財)

寛永九年に建造されました。日比谷通り沿いにあります。
場所は東京プリンスホテルパークタワー前となります。

台徳院霊廟「惣門」:木造仁王像

増上寺宝物展示室で頂けるご朱印

台徳院殿(二代将軍秀忠):ご朱印

静寛院和宮:ご朱印

目連(もくれん)尊者:ご朱印

お釈迦様の十大弟子(特に秀でた十人の弟子)の一人、目連のご朱印です。

五百羅漢:ご朱印

狭山山不動寺にある旧台徳院・崇源院霊廟跡

昭和四十八年(1973年)増上寺から埼玉県所沢市にある狭山山不動寺に移築されました。

台徳院霊廟勅額門(国指定重要文化財)

台徳院霊廟:御成門

朝鮮渡来天人門といわれています。

崇源院霊廟丁子門(国指定重要文化財)

増上寺御霊屋:文昭院殿霊廟(六代将軍家宣)

文昭院殿霊廟「中門」

昭徳二年(1712年)鋳造されました。現在は将軍家墓所の入口となっております。

六代将軍家宣公(文昭院殿)宝塔

増上寺御霊屋:有章院殿霊廟(七代将軍家継)

有章院殿霊廟「二天門」(国指定重要文化財)

享保元年建造されました。日比谷通り沿いにあります。
場所は東京プリンスホテル前となります。

現在の東京プリンスホテル敷地には文昭院霊廟(六代将軍徳川家宣)と並んで、
有章院霊廟(七代将軍徳川家継)がありました。

七代将軍家継公(有章院殿)宝塔

徳川家宣の第三子で、わずか三歳にて七代将軍職を継ぎましたが、
元来病弱であったため、正徳六年八歳で亡くなりました。

増上寺御霊屋:歴代将軍やその家族の宝塔

十二代将軍家慶公(慎徳院殿)宝塔

九代将軍家重公(惇信院殿)宝塔

十四代将軍家茂公(昭徳院殿)宝塔

静寛院和宮(十四代家茂正室)宝塔

十四代将軍徳川家茂の正室である和宮は、
明治十年(1877年)三十一歳という短い生涯を閉じました。

遺体は京都に戻すよう沙汰がありましたが、本人の遺言に従い、
家茂公と同列に並んで祀られました。家茂公石塔に対し、青銅製となっています。

清揚院殿(甲府宰相綱重)霊廟『水盤舎(すいばんしゃ)』

清揚院殿は三代将軍の徳川家光第三子甲府宰相・徳川綱重です。

はじめ小石川の伝通院に埋葬されましたが、
綱重の息子にあたる六代将軍家宣の時に増上寺に改葬されました。

水盤舎はお参りをする前に心身を清めるために、御霊屋にあったものですが、
今は増上寺境内参道脇にあります。

合祀宝塔

宝塔は月光院の墳墓に祀られていました。

合祀宝塔に埋葬されている方々

合祀宝塔に埋葬されている方々

徳川綱重家光公第三子で家宣公の実父
桂昌院家光公側室で五代将軍綱吉公の生母
廣大院11代将軍家斉公正室
月光院家宣公側室
その他南北の御霊屋に祀られていた歴代将軍の婦人・子女の多数が埋葬されています。

増上寺以外の場所にある徳川家ゆかりの墓所

谷中霊園:十五代将軍徳川慶喜公霊廟

歴代将軍はお墓は日光東照宮増上寺寛永寺にありますが、
江戸幕府の最後となる十五代将軍徳川慶喜のお墓は谷中霊園にあります。

お墓の形が神道式となっており、慶喜が生前にこの地に建てたそうです。

慶喜は大正二年(1913年)七十七歳で亡くなりました。

旧自証院霊屋(じしょういんおたまや):江戸東京たてもの園(小金井市)

江戸幕府三代将軍徳川家光側室・お振の方祀った霊廟で、
慶安五年(1652年)に市ヶ谷の自証院の中に建てられました。
施主お振の方の娘尾張藩二代藩主徳川光友正室千代姫です。

扉は普段は閉ざされていますが、日曜日・祝日に開きます。

ご覧頂きましてありがとうございます。