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旧柏木成子町鎮守:成子天神社(なるこてんじんしゃ)
由緒
元々柏木村鳴子と呼ばれる場所でした。
大神宮(御祭神天照大御神)が祀られていました。
菅原道真の家臣である佐伯と斎宮は、
延喜三年(903年)に菅原道真が太宰府で亡くなったという報せを受け、
道真の生前に彫られた像を柏木村に持ち帰り、
この地を菅公神社の神域とし、社が設立されました。
江戸幕府三代将軍の徳川家光より柏木鳴子の地を賜った春日局は、
天満天神社として社殿を造営しました。
明治二十七年に成子神社と改められ、
昭和三年に成子天神社と改称されました。
社殿
空襲による焼失後、
昭和四十一年に再建されました。
現在の社殿は平成二十六年(2014年)に造営されました。
三井不動産レジデンシャル『成子天神社再整備プロジェクト』
成子天神社の境内に、
三井不動産レジデンシャルとともに、
土地所有者は成子天神社のまま、
約70年の借地期間で、
『パークタワー西新宿エムズポート』が竣工しました。
再整備の対象の分譲マンション(左)と賃貸マンションが建っています。
このプロジェクトに合わせて、
本殿・社殿の建て替え、境内・参道の整備も行われました。
三井不動産レジデンシャルによる神社と一体開発のプロジェクトは、
赤城神社が第一号案件でした。
神門
風神雷神像が安置されています。
鳥居
以前の鳥居の扁額がありました。
成子天神社の力石(ちからいし)
石の重さは四拾貫目(約百五十キロ)~五拾八貫目(約二百十八キロ)になるそうです。
撫で牛
江戸・東京の農業:鳴子ウリ
境内
西新宿のビル群の中にあって、きれいな花の咲く落ち着いた境内です。
神輿庫
富士塚(ふじづか):新宿区内最大規模
富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。
大正九年(1920年)に境内にあった天神山という小山に、
富士山の溶岩を配して築かれました。
高さは約十二メートルあり、新宿区内では最大規模です。
成子天神社のご朱印
成子天神社:ご朱印
七尊像めぐり:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都新宿区西新宿8-14-10
- アクセス:東京メトロ丸ノ内線西新宿駅徒歩2分
- HP:http://www.naruko-t.org/
ご覧頂きましてありがとうございます。
神社の地域は江戸時代はマクワウリの産地でした。
元禄十一年(1698年)に新宿に市場が開かれた為、
栽培が盛んになったそうです。
鳴子坂の地名から鳴子ウリとも言われました。
甘味が多く、水菓子として貴重な野菜だったそうです。