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源平合戦勝利祈願の社:埴生護國八幡宮(はにゅうごこくはちまんぐう)
『護国』の由来
『護國』とは、江戸時代の慶長年間にこの地方で凶作が続いたことから、
加賀藩初代藩主の前田利長が豊作を祈願したところ、
願いが叶ったことから、その名が贈られたそうです。
朝日将軍:源義仲(みなもとのよしなか)ゆかりの地
源義仲が源平合戦の勝利を祈願した社として知られています。
平安時代の末、寿永二年(1183年)五月、源義仲は埴生に陣をとり、
俱利伽羅山に二倍の軍勢を布く平維盛の大軍との決戦を控え、
勝利を祈願しました。
義仲は歴史的に有名な「火牛の計」を使い、維盛との戦いに勝利しました。
御祭神
八幡大神(やはたのおおかみ)
鳥居
百三段の石段
戦国時代に近隣の蓮沼城主であった遊佐慶親(ゆさよしちか)の寄進により出来上がりました。
日本一の大きさ:源義仲像
昭和五十八年に建立された日本一の大きさの源義仲像です。
地上からの高さは八メートルで、騎馬像としても全国有数のものです。
国指定重要文化財:本殿
本殿は慶長五年(1600年)に前田利長により寄進されました。
春季例祭
参拝日の四月十五日はちょうど春季例祭の日でした。
獅子舞が通っていました。
埴生護国八幡宮のご朱印
埴生護国八幡神社:ご朱印
神社情報
- 住所:富山県小矢部市埴生2992
- アクセス:あいの風とやま鉄道石動駅徒歩25分
北陸自動車小矢部I.Cより車で5分 - HP:http://hanyu.main.jp/index.html
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河内源氏の一族の源義賢(みなもとのよしかた)の次男であり、
源頼朝とは従兄弟にあたります。信濃源氏の武将で、木曾義仲の名で知られています。
源義賢は源頼朝の父である源義朝との対立により、
義朝の長男である源義平に討たれました。
以仁王の令旨(りょうじ)によって挙兵し、俱利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破り、
源頼朝より先に入京しました。後に源頼朝の軍勢に敗れ、近江国粟津で討死しました。