徳川家康も祀られる社:佃島住吉神社(すみよしじんじゃ)
由緒
正保三年(1646年)に佃島が築島された地に、住吉三神と神功皇后、東照大権現を勧請し、
住吉神社が創建されました。
佃島(つくだじま)の由来
天正年間に徳川家康が上洛し、
摂津国西成郡佃村(大阪市西淀川区佃)にある住吉神社(現・田蓑神社)に参詣した際、
佃村や近隣の漁民が神崎川に渡し舟を出し、家康一行を運び、白魚などを献上しました。
天正十八年(1590年)に徳川家康が関東下向の際、
佃村らの漁民と神職の平岡権大夫好次が江戸に移りました。
正保二年(1645年)には鉄砲洲向かいの干潟を下賜され、築島し、
故郷の佃の名をとり佃島としました。
鳥居
陶製の扁額は明治十五年(1882年)に制作され、有栖川宮幟仁(たかひと)親王の筆です。
社殿
明治二年(1869年)に再建されました。
水盤舎
水盤舎は明治二年(1869年)に再建され、四十四年に改築されました。
石造の水盤には「天保十二年白子組」と見え、木綿問屋組合が寄進したものです。
入船稲荷神社
明治二年に鎮座しました。
龍神社(りゅうじんじゃ)
文政五年(1822年)に鎮座しました。
その後天保九年(1838年)に佃島の一角にあった龍神を祀る祠が合祀され、
翌年天保十年(1839年)に日本橋白木屋に祀られていた大弁財天が合祀されました。
旧神輿庫
境内に明治四十三年(1910年)に大規模な修繕・改築が行われ、
その際この神輿庫が新設されました。
レンガ造りの神輿庫は珍しいです。
鰹塚(かつおづか)
江戸時代から鰹節問屋は住吉大神を生業繁栄の守護神として奉賛してきました。
鰹塚は、昭和二十八年に東京鰹節卸商業協同組合が、鰹の御霊に感謝慰霊の意を込め、
また豊漁を願い建立されました。
歌碑
隅田川沿いの鳥居
隅田川沿いに朱色の鳥居がありました。
佃島渡船場跡
佃大橋を渡った西側に、佃島渡船場跡がありました。
江戸時代の正保二年(1645年)に佃の渡しが通り、
大正十五年(1926年)に東京市の運営に移ると無償となりました。
『佃島渡船』の石碑は手こぎ渡船を廃止した記念として、この時期に建てられました。
昭和三十年(1955年)には一日七十往復運航しましたが、
昭和三十九年八月の佃大橋の完成によって、佃島渡船は廃止されました。
佃住吉神社のご朱印
平成二十一年拝受:ご朱印
平成二十九年拝受:ご朱印
令和六年拝受:ご朱印
平成二十九年拝受:龍神社・ご朱印
令和六年拝受:龍神社・ご朱印
神社情報
- 住所:東京都中央区佃1-1-14
- アクセス:東京メトロ有楽町線・都営大江戸線月島駅徒歩約5分
- HP:https://www.sumiyoshijinja.or.jp/index.html
佃島住吉神社周辺
佃まちかど展示館:佃島住吉神社神輿庫
佃島住吉神社の近くにある『佃まちかど展示館』には、
住吉神社の神輿が展示してあります。
龍虎の頭は制作年代不詳ながら、最も古いものです。
江戸時代からの多くの火災を免れました。
つくだに天安本店
隅田川沿いの佃島の古い街並みの中に、つくだにの老舗がありました。
『天安』は天保八年に創業し、初代が安吉であったため、「天安」とつけられました。
三品詰め合わせを購入しました。
佃船溜
船溜の川底には、三年に一度の佃祭りに使われる大幟(のぼり)の柱が空気に触れないように、
川底に埋められているそうです。
浪除於咲稲荷大明神
佃小橋の近くにあります。
佃天台地蔵尊
路地裏を入ったところに佃天台地蔵尊がありました。
地蔵尊は石板に描かれていました。
江戸時代中期(正徳五年:1715年~元文三年:1738年)に上野寛永寺崇徳院宮法親王が、
地蔵菩薩を篤く信仰され、自ら地蔵菩薩を描き、江戸府内の寺院に賜り、
地蔵尊造立を促されました。上野浄名院の地蔵比丘(びく)と呼ばれた妙運大和尚が、
八萬四千体石地蔵尊建立を発願し、崇徳院宮が描いた地蔵尊を拝写し、
全国の信者に配りました。佃天台地蔵尊にも妙運大和尚の刻印があります。
境内にはイチョウの木が立っていました。
NHK『ドキュメント72時間』の「大都会お地蔵さまの前で」で取り上げられました。
石川島人足寄場
佃島のそばには石川島人足寄場がありました。
江戸時代に火付盗賊改方の長谷川平蔵が老中松平定信に提案し、
無宿者の更生施設である人足寄場を作り、職業訓練をさせました。
石川島灯台(モニュメント)
下は公衆トイレになっていましたが、常夜灯のモニュメントがありました。
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