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麻布富士見御殿鎮守:廣尾稲荷神社
由緒
慶長年間に江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が鷹狩りの際に、
この地に稲荷を勧請したと伝えられています。
元禄のころ五代将軍の徳川綱吉の別荘として、
白銀御殿が建てられた際は、
その鎮守社として役割もあったそうです。
当時麻布宮村の千蔵寺が別当であったため、
『千蔵寺稲荷』とも呼ばれました。
明治四十二年に廣尾稲荷神社の社号となりました。
『ハギナメ稲荷』という俗称は、かつて麻布広尾の辺りが萩の名所で、
『可憐な萩が地をなめる様に咲き乱れていた』ことによるそうです。
社殿
拝殿は弘化四年に再建された当時のものです。
本殿と幣殿は関東大震災後の大正十四年に建てられました。
太平洋戦争の空襲にもあいませんでしたが、
平成二年十一月十二日天皇陛下(現・上皇陛下)即位の礼当日に、
過激派のゲリラ活動による放火事件により、一部焼失しましたが、全焼は免れました。
この時全国の神社から募金が行われ、
七百万円が復興支援金として交付されたそうです。
御祭神
廣尾稲荷神社のご朱印
廣尾稲荷神社:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都港区南麻布4-5-61
- アクセス:東京メトロ日比谷線広尾駅徒歩2分
廣尾稲荷神社周辺:有栖川宮公園
有栖川宮公園
有栖川宮公園は元々陸奥盛岡藩の下屋敷でしたが、
明治二十九年(1896年)に有栖川宮家御用地となりました。
有栖川宮家が断絶し、昭和九年(1934年)に公園地として当時の東京市に下賜されました。
廣尾稲荷神社の近くには有栖川宮公園があります。
有栖川宮公園にある有栖川宮熾仁親王の銅像は、
明治三十六年(1903年)に千代田区三宅坂の参謀本部内に建てられていたものを、
昭和三十七年(1962年)に公園に移設されました。
有栖川熾仁(たるひと)親王
幕末から明治にかけての皇族です。
王政復古の大号令の際に総裁職に就任。
明治天皇に歌道と書道を指南し、
五箇条の御誓文の正本を揮毫(きごう)しました。
和宮内親王と婚約していたましたが、
江戸幕府との公武合体政策から、
和宮は江戸幕府十四代将軍の徳川家茂と結婚しました。
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宇迦魂之命(うかのみたまのみこと)