Contents
- 1 関八州総鎮護:伊豆山神社(いずさんじんじゃ)
- 1.0.1 鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
- 1.0.2 源頼朝ゆかりの三社詣:御朱印帳
- 1.0.3 尼将軍:北条政子ゆかりの地
- 1.0.4 由緒
- 1.0.5 燈籠と一の鳥居
- 1.0.6 二の鳥居と参道階段
- 1.0.7 摂社:祖霊社
- 1.0.8 摂社:役の小角社(えんのおづぬしゃ)
- 1.0.9 摂社:結 明神社(むすぶみょうじんしゃ)
- 1.0.10 手水舎(赤白二龍:せきびゃくにりゅう)
- 1.0.11 こころむすび
- 1.0.12 社殿
- 1.0.13 境内からの景色
- 1.0.14 頼朝・政子腰掛け石
- 1.0.15 摂社:雷電社(若宮)
- 1.0.16 白山神社遥拝所
- 1.0.17 本宮までの参拝路
- 1.0.18 池
- 1.0.19 光り石
- 1.0.20 道祖神
- 1.0.21 特別展:法華曼荼羅(ほっけまんだら)
- 1.0.22 境内案内図
- 1.0.23 昭和天皇御手植えの松
- 2 伊豆山神社のご朱印
- 3 神社情報
関八州総鎮護:伊豆山神社(いずさんじんじゃ)
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
源頼朝が源氏再興の祈願をし、平家を倒してからも、
文治四年(1188年)正月より、三嶋大社・箱根神社とともに三社詣を始め、
以後鎌倉幕府の恒例行事として百三十年余続けられました。
源頼朝ゆかりの三社詣:御朱印帳
御朱印帳は三嶋大社で頂きました。
箱根神社・伊豆山神社と合わせて三社を詣でることを三社詣といいます。
源頼朝が始めて以来鎌倉幕府の恒例行事として、百三十年余続きました。
尼将軍:北条政子ゆかりの地
周囲の反対を押し切り、伊豆に流罪となっていた源頼朝の妻となり、
後の鎌倉幕府将軍の源頼家、源実朝を産みました。
頼朝の死後は『尼将軍』として、鎌倉幕府を支えました。
その後源実朝の暗殺や後鳥羽上皇による承久の乱などの危機を乗り切り、
嘉禄元年(1225年)に亡くなりました。享年六十九でした。
源頼朝と北条政子の出逢いの場でした。また頼朝が挙兵後、石橋山の戦いに敗れた際は、
頼朝が帰依していた伊豆山権現の僧・覚淵(かくえん)を頼り、
政子と娘の大姫らは伊豆山権現(伊豆山神社)に身を潜めていました。
由緒
創建の年代は不明です。
社伝では紀元前五世紀~紀元前四世紀の第五代の考昭天皇の時代に、
日金山山頂にあったといわれています。
文武天皇三年(699年)に伊豆大島に配流の折り、『走り湯』を発見したといわれています。
鎌倉・室町時代には広大な神領に、最盛期には六十四棟の僧坊・修験坊があり、
三千八百名の僧兵が滞在し、伊豆権現を守っていたといわれています。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉による小田原攻めの際、
伊豆山権現が小田原の北条氏に味方した為焼き討ちに遭い、
伊豆山全山が三日三晩燃え続けたといわれています。
焼き討ちにあった伊豆山権現は文禄三年(1594年)から慶長十七年(1612年)にかけて、
徳川家康が高野山の僧・快運を招き入れて伊豆山別当職に任命し、
般若院の院号を与えて復興にあたらせました。
江戸時代の伊豆山は十二の僧坊と七つの修験坊を有して、
繁栄を取り戻しました。
明治維新の神仏分離令により別当寺の般若寺が分離され、
これまでの伊豆山権現から伊豆山神社と呼ばれるようになりました。
燈籠と一の鳥居
『伊豆山神社前』バス停を下りてお参りしました。
鳥居の隣には駐車場もありました。
二の鳥居と参道階段
バス停から社殿までは約170段あるという階段を登ります。
摂社:祖霊社
階段の途中に祖霊社があります。伊豆大権現に仕えた氏人の祖霊が祀られています。
摂社:役の小角社(えんのおづぬしゃ)
階段の途中にあります。役の小角(えんのおづぬ)は『修験道の祖』といわれています。
文武天皇の時代に伊豆大島に流されましたが、
夜は『飛行の術』を駆使して、伊豆山神社へ飛び、修行を重ねたと伝えられています。
摂社:結 明神社(むすぶみょうじんしゃ)
階段の途中にあります。『結 明神社』は男女の縁結びの神様です。
手水舎(赤白二龍:せきびゃくにりゅう)
赤白二龍は御祭神の隋神で、赤は火を表し、白は水を表し、
火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神になります。
赤龍を母親、白龍を父親とみなし、夫婦和合や縁結びの象徴としています。
こころむすび
境内にはこころむすびのハートがありました。
おみくじを引いてハートに結んで写真を撮ると御利益があるそうです。
社殿
社殿は相模湾を一望できる海抜百七十メートルの場所にあります。
境内からの景色
頼朝・政子腰掛け石
源頼朝と北条政子が腰掛けた石となります。
境内には頼朝と政子のイラストもありました。
摂社:雷電社(若宮)
『光の宮』の別名があります。暦応四年に足利氏が、
慶長十七年には江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が改築しました。
現在の社殿は昭和十年に内務省によって改築されました。
白山神社遥拝所
白山神社の遥拝所になります。山道を登って約20分歩くと、
石蔵谷の岩上に社殿が鎮座されているようです。
遥拝所から先は坂道となっています。
本宮までの参拝路
池
光り石
道祖神とともに大磯高麗山(高来神社)より来た神様の降り立つ『光り石』です。
道祖神
特別展:法華曼荼羅(ほっけまんだら)
境内にある伊豆山郷土資料館では、源頼朝の一周忌に北条政子が供養の為に、
自らの頭髪を梵字に用いたと伝わる『法華曼荼羅』が展示されていました。
境内案内図
昭和天皇御手植えの松
大正三年一月に当時皇太子であった昭和天皇が御参拝の際、
松を御手植えされました。その松は松くい虫の被害で伐採されましたが、
その種子から新たに松が成長しています。
伊豆山神社のご朱印
伊豆山神社:御朱印帳
赤白二龍が描かれています。
ご朱印案内
源頼朝ゆかりの三社詣:ご朱印
御朱印は書置きでしたが、『源頼朝ゆかりの三社詣』専用御朱印帳に貼りました。
頼朝・政子ゆかりの地:ご朱印
特別限定ご朱印
神社情報
- 住所:静岡県熱海市伊豆山708-1
- アクセス:JR熱海駅下車伊豆山神社行きもしくは七尾行きバス『伊豆山神社前』下車約7分
- HP:https://izusanjinjya.jp/
伊豆山神社周辺
権現坂
伊豆山神社前道路を渡ると権現坂と呼ばれる階段があります。
伊豆山神社の参道は、途中走り湯から伊豆山浜まであり、
合計八百三十七段あります。
途中に伊豆大神が湧き出させた走り湯があります。
日本唯一の横穴式源泉だそうです。
旧善満坊
権現坂の階段横に『旧善満坊』と書かれた石碑があります。
江戸時代は参道階段沿いに十二坊あったことが、古地図からも確認できます。
仲道公民館前道祖神
旧善満坊の石碑から道路を挟んで反対側の仲道公民館の前に道祖神がありました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、平家打倒に挙兵しました。
平家打倒を果たした後、鎌倉幕府初代将軍となりました。