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源頼朝ゆかりの地:八重姫御堂(やえひめみどう):真珠院(しんじゅいん)
八重姫悲恋物語
八重姫は幽閉先の館を抜け出し、源頼朝に会いに向かいましたが、
北条政子との結婚を知った八重姫は真珠ヶ淵に身を投げました。
里人は八重姫を満願寺に葬り、長く女人の守護神として信仰を集めました。
満願寺が明治初期に廃寺となり、八重姫供養塔は真珠院に移されました。
由緒
文明二年(1470年)に守護代の一翁宋滴大禅定門を開基として、
大仁町田京の藏春院三世実山永秀禅師を開山として請いました。
五輪塔に『正安四年(1302年)定仙大和尚のために建立』とあるため、
それ以前の開闢(かいびゃく)といわれています。
天明四年と明治十八年に火災に遭い、本堂などすべてが焼失したため、
寺宝や古文書を失いましたが、仏像は被災を免れました。
源頼朝の異母弟:阿野全成のゆかりの地
源義朝の七男で源頼朝の異母弟にあたります。
頼朝の兄弟の中で初めて平家打倒の挙兵に参加しました。
鎌倉幕府の御家人として駿河国阿野荘(静岡県沼津市)を領有し、
頼朝の妻である北条政子の妹の阿波局と結婚しました。
建仁三年(1203年)に鎌倉幕府二代将軍の源頼家に謀反の疑いをかけられ、
常陸国に配流され、頼家の命を受けた八田知家に誅殺されました。享年五十一でした。
阿野全成の開創とも伝えられています。
山門
山門横に『狩野川台風最高水位』の石碑がありました。
本堂
昭和四年に本堂は再建されました。
本堂の由緒となります。
八重姫御堂
堂内の正面に八重姫の木像が安置されています。
八重姫主従七女之碑
八重姫の後を追い自害した侍女達の碑となります。
梯子供養(はしごくよう)
八重姫が入水した時、せめてはしごがあったら救えたという里人の思いから、
願い事が成就したお礼参りにはしごを供える習慣として残されています。
庫裡にてはしごが授与されています。
『八重姫慕情』の歌碑
庭園
静かで落ち着いた庭園です。周囲は山と川に囲まれています。
花も綺麗に咲いていました。
庭園の水琴窟(すいきんくつ)
ご朱印を頂いた奥様に教えて頂きました。いい音でした。
境内案内図
真珠院のご朱印
御本尊:ご朱印
季節のご朱印
朝顔のご朱印を頂きました。
寺院情報
- 住所:静岡県伊豆の国市中條2
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅徒歩12分
ご覧頂きましてありがとうございます。
伊東荘の豪族である伊東祐親(いとうすけちか)の三女です。
源頼朝の最初の妻といわれています。
伊豆に流罪になっていた源頼朝との間に千鶴丸という子をもうけましたが、
平家に知られることを恐れた祐親によって、子は殺害され、
館に幽閉されました。