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源頼朝ゆかりの地:白旗神社(しらはたじんじゃ)
御祭神
由緒
源頼朝の居館(大蔵幕府)の北隅に持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって、
髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置されて、
篤く信仰されていました。
建久十年(1199年)1月13日に源頼朝が亡くなった後、
持仏堂に葬られ、後に法華堂と呼ばれました。
鎌倉町青年會:大蔵幕府跡石碑
現在の清泉小学校の場所に『大蔵幕府跡』の碑があります。
源頼朝の屋敷があり、三代執権の北条泰時によって宇都宮辻子に移るまで、
幕府(御所)が置かれました。
鎌倉町青年團:法華堂跡碑
鶴岡八幡宮の供僧の相承院が奉仕して祭祀を続けました。
明治時代になると寺は白旗神社に改められ、源頼朝を御祭神として今日に至ってます。
社殿
神社は普段は無人です。正月三が日限定でご朱印を頂けます。
現在の社殿は明治維新百年を記念して、源頼朝公報恩会の篤志によって造営されました。
令和五年正月:社殿
令和五年の1月3日に参拝しました。社殿と社務所が開いており、
ご朱印も頂きました。元日から3日までご朱印を頂けるそうです。
源頼朝公顕彰碑
歌碑は源頼朝研究の第一人者であった大森金五郎氏によるものです。
寄進碑
薩摩藩第八代藩主の島津重豪(しまづしげひで)の名が刻まれています。
白旗神社(西御門)のご朱印
白旗神社(西御門):ご朱印
白旗神社(西御門)情報
- 住所:神奈川県鎌倉市西御門2-1-24
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩19分
源頼朝墓所・法華堂跡
由緒
鎌倉幕府滅亡後も法華堂は存続しましたが、
17世紀初頭までには堂舎が無くなり、石造りの墓塔が建てられました。
現在の墓域は安永八年(1779年)に薩摩藩主の島津重豪によって整備されました。
参道
白旗神社前の階段を登ると源頼朝の墓所があります。
源頼朝墓所
法華堂跡には北条義時の墓所もあります。
弟・源希義の墓所の土と石を交換
頼朝の墓所は高知市にある弟の源希義(みなもともまれよし)の墓所の、
土と石を交換することで、兄弟を再会させました。
源希義は源義朝の五男で、頼朝にとっては同母弟にあたります。
平治の乱で父・義朝が敗れた為、土佐に流罪となりました。
治承四年(1180年)に源頼朝の挙兵を受けて、
平家によって希義の追討令が出され、殺されました。
土佐冠者(とさのかじゃ)と呼ばれていました。
神社情報
- 住所:神奈川県鎌倉市西御門2-5
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩20分
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源頼朝公