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岸和田祭発祥の宮:岸城神社(きしきじんじゃ)
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり
大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり:御朱印帳
大坂夏の陣
慶長二十年四月二十八日、徳川方の紀州浅野隊を攻める為、
大野治房(はるふさ)は、弟の治胤、塙直之(団右衛門)、岡部則綱らと南下していました。
道中の徳川方の岸和田城は、秀吉の生母大政所の妹を娶った小出秀政の孫、
小出吉英(ひでふさ)が城主でした。
戦場の樫井(かしい)では、豊臣方が数の上では圧倒的に優勢であったにもかかわらず、
塙直之と岡部則綱の先陣争いで、敵中に深く入り込んでしまい、
直之らが討死し大敗し、治房は大坂城へ撤退しました。
由緒
創建の時期は不明ですが、
もともと村の氏神として天照皇大神を祀ったのが始まりといわれています。
寛文元年(1661年)頃、岸和田城の城郭拡大に伴い、
城内の神明門付近に取り込まれ、神明社と呼ばれて親しまれていました。
万治四年(1661年)に廃壊状態であった社殿を、
城主岡部宣勝が改築し、以後十三代にわたって崇敬を受け続けました。
明治になると牛頭天王社と八幡社を合祀し、岸城神社と改称されました。
御祭神
天照皇大神:元岸和田村産土神
素戔嗚尊:牛頭天王
品陀別命(ほんだわけのみこと):八幡大菩薩
社殿
平成二十三年に牛頭天王社が隣村に祀られた正平十七年(1361年)を起点として、
御鎮座六百五十年大祭を執り行いました。
大祭にさきがけ、老朽化した社殿も改築され、境内も綺麗に整備されました。
境内
岸和田だんじり祭り
『岸和田だんじり祭り』は元禄十六年に岸和田藩主の岡部長泰が、
京都の伏見稲荷大社を城内三の丸に勧請し、
五穀豊穣を祈願し行った稲荷祭がその起源です。
各地の地車が太鼓を打ち鳴らし、色々な芸を殿さまに見せていたことが、
はじまりのようです。
岸城神社のご朱印
岸城神社:御朱印帳
だんじりがデザインされています。
岸城神社:ご朱印
神社情報
- 住所:大阪府岸和田市岸城町11-30
- アクセス:南海本線蛸地蔵駅より徒歩7分
南海本線岸和田駅より徒歩10分 - HP:https://www.kishikijinja.jp/index.html
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大阪府内と奈良県大和郡山市にある大坂の陣ゆかりの二十五社寺を巡るものです。