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国指定重要有形民俗文化財:木曽呂(きぞろ)の富士塚
富士塚(ふじづか)
JR東川口駅・埼玉高速鉄道・東川口駅
東川口駅よりバスで向かう事が出来ます。
由緒
木曽呂の富士塚は、地元では「ふじやま」または「木曽呂浅間」と呼ばれ、
寛政十二年(1800年)に富士講の一派である丸参講(まるさんこう)の信者である、
蓮見知重(はすみともしげ)の発願によって、
見沼代用水と通船堀(つうせんぼり)の連結点の縁に築造されました。
見沼通船堀の東縁からの富士塚です。
高さ5.4メートル、直径約20メートルあり、塚全体は盛土で築かれています。
浅間神社
富士塚の東側に鳥居があり、浅間神社がありました。
富士塚東側階段
富士塚は四方から登れる階段がありました。
富士塚西側階段
富士塚南側階段
富士塚頂上
富士塚頂上は平らになっています。
南側は市道が見えます。
北側は浅間神社が見えます。
木曽呂の富士塚情報
- 住所:埼玉県川口市東内野596
- アクセス:東川口駅行きバス乗車約19分木曽呂バス停下車徒歩約6分
木曽呂富士塚周辺
稲荷社(さいたま市緑区下山口新田18)
木曽呂の富士塚のそばに稲荷社があります。
江戸中期に開発された見沼新田の場所の中にあります。
寛政三年(1791年)に氏子中の願いにより、京都伏見稲荷大社から勧請されました。
稲荷社のある場所の開発は江戸小田原町鯉屋藤左衛門が入り、
六十年余りの難工事の末にようやく成し遂げられたものです。
新田名は鯉屋の姓である山口を当てて「山口新田」と名付けられました。
見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)
木曽呂の富士塚と見沼代用水を挟んだ場所に見沼通船堀があります。
見沼通船堀
見沼通船堀東縁から西に向かって見沼通船堀があります。
見沼通船堀・由緒
見沼通船堀は、享保十六年(1731年)に幕府勘定吟味役、
井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)によって作られた、
我が国最古の閘門式(こうもんしき)運河です。
通船堀を通って江戸に運ばれたものは、
年貢米の他、野菜・薪炭・酒・柿渋など村々の生産物で、
江戸からは肥料・塩・魚類・醤油・荒物などが運ばれました。
通船を行うのは、田に水を使わない時期でした。
陸上交通の発達などによってすたれ、大正時代の終わり頃には行われなくなり、
昭和六年の通船許可の期限切れとともに幕をおろしました。
見沼通船堀そばは、現在は遊歩道になっています。
見沼干拓と見沼代用水路
見沼は埼玉県東南部に広がる広大な沼沢池で、武蔵国一宮の氷川女体神社とも関わりが深く、
その中で御船祭なども行われていました。
江戸時代初めの寛永六年(1629年)に関東郡代の伊奈半十郎忠治によって八丁堤が築かれ、
見沼溜井がつくられました。
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富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。