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親鸞聖人ゆかり:居多神社(こたじんじゃ)
越後国一の宮
越後国一の宮といわれる居多神社は新潟県上越市にあります。
越後国一の宮は他には彌彦神社や、
糸魚川の天津神社(あまつじんじゃ)があります。
由緒
創建は不詳ですが、
承元元年(1207年)に親鸞聖人が越後国に流された際、参詣したそうです。
南北朝時代に守護の上杉氏からの崇敬を受け、
一の宮に位置付けられたといわれています。
上杉家で起きた御館の乱(おたてのらん)では上杉景虎側についた為、
上杉景勝側の攻撃を受け社殿が焼失しました。
慶長四年に越後高田領主の堀秀治により社領を与えられ、
慶長十六年には幕府からも朱印地が与えられました。
上杉家の後継者争い:御館(おたて)の乱
御館(おたて)は越後に逃れた関東管領の上杉憲政の為に上杉謙信が造営した館です。
天正六年(1578年)の上杉謙信の急死後、謙信が後継者を定めていなかった為、
ともに謙信の養子である上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の実子)による、
上杉家の家督を巡る争いが起こりました。
天正七年(1579年)の総攻撃により、景虎が御館を脱出して逃亡、
御館は放火され、落城しました。後に景虎も自害し、乱は収束しました。
御祭神
社殿
明治十二年に現在地に社殿が造営されましたが、
明治三十五年に火災で焼失、明治四十年に仮社殿が造営されました。
現在の社殿は平成二十年に造営されました。
居多神社のご朱印
居多神社:ご朱印
神社情報
- 住所:新潟県上越市五智6-1-11
- アクセス:えちごトキめき鉄道直江津駅より車で5分
居多神社周辺
居多ヶ浜:親鸞聖人上陸の地
承元元年(1207年)の春のはじめ、越後国府へ流罪となった親鸞聖人が上陸した場所です。
承元の法難
建永二年・承元元年(1207年)に後鳥羽上皇により、法然の門弟四人が死罪とされ、
法然と親鸞ら門弟七人が流罪となりました。
法然は讃岐の地に流罪となりました。
諸説がありますが、旧仏教勢力が念仏停止を訴えたものだといわれています。
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大国主命(おおくにぬしのみこと)
奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと:大国主命の妻
建御名方命(たけみなかたのみこと:大国主命の子
事代主命(ことしろぬしのみこと:大国主命の子