東京都墨田区:隅田川七福神めぐり・布袋尊:弘福寺のご朱印

風邪除け・咳止めのご利益:見番通り:弘福寺(こうふくじ)

隅田川七福神めぐり

隅田川七福神めぐり

隅田川七福神は、向島百花園園主である佐原鞠塢(さはらきくう)や、
向島百花園に集う江戸後期の文人たちによって選ばれました。
庶民の間に流行させたのは、明治三十一年(1898年)頃に結成された隅田川七福会でした。
明治三十二年(1899年)七福会によって、
途絶えていた隅田川七福神参り再開されました。

布袋尊:弘福寺(ぐふくじ)
弁財天:向島長命寺(ちょうめいじ)
福禄寿尊:向島百花園
毘沙門天:墨田多聞寺(たもんじ)
寿老人:白髭神社(しらひげじんじゃ)

恵比寿神・大国神:三囲神社(みめぐりじんじゃ)

隅田川七福神めぐり公式HP:https://www.sumidagawashichifukujin.com/
向島百花園・向島長命寺・白髭神社1月1日~7日までの期間内に、
七福神のご朱印を頂けます。

由緒

江戸時代延宝元年(1673年)黄檗宗僧・鉄牛道機(てつぎゅうどうき)開山
春日局の孫である小田原城主稲葉正則開基により現在地に移されて建てられました。

幕臣勝海舟は、江戸島田道場剣術に励んでいた若い頃
師の勧め弘福寺に通い数年間大勢の雲水とともに参禅していました。
後に著書『氷川清話』の中でも、その剣禅一致の修行が、
「春風面を払って去るの心地」開く機縁になったと述懐しています。

本堂

関東大震災罹災しましたが、昭和八年(1933年)再建されました。

本堂右側に布袋さまが見える案内看板がありました。

本堂の巨大な鬼瓦がありました。

咳の爺婆尊

境内右側に、「かぜ除け・コロナ封じ」という看板がたつお堂がありました。
風外禅師自ら刻んだ父母の石像があり、
『風外』の名から風邪除けのご利益があると考えられます。

人呼んで「咳の爺婆尊」と称し、口中に病のあるものに、
咳のやむものは婆に祈願するそうです。

因幡国若桜藩主・池田冠山の墓

因幡国若桜藩五代藩主池田定常(冠山)墓所があります。
天保四年(1833年)十二月の銘文があります。

老中松平定信寛政の改革の時代に、佐伯藩主毛利高標仁正寺藩主市橋長昭と並んで、
『文学三候』と称えられました。生涯を通じて多数の書物を著しました。

庫裡

庫裡の背後には東京スカイツリーを眺めることができます。

弘福寺のご朱印

弘福寺のご朱印は書置きで見開きとなっておりました。

御本尊・釈迦如来:ご朱印

招財進寶(しょうざいしんぽう):ご朱印

大雄宝殿(だいゆうほうでん):ご朱印

病魔退散:ご朱印

咳の爺婆尊が描かれています。

達磨大師:ご朱印

禅宗の祖である達磨大師のご朱印です。

令和五年拝受:隅田川七福神めぐり・布袋尊:ご朱印

令和六年一月拝受:隅田川七福神めぐり・布袋尊:ご朱印

ご朱印を頂いた際、特性マスクを頂きました。

寺院情報

弘福寺周辺

見番通り

弘福寺前は見番通りと呼ばれています。
見番(けんばん)とは芸者さんに口がかかったときの取次や、
玉代の計算芸者屋の取り締まりをする事務所の事です。

見番通りには向島墨堤組合の事務所がありました。
料亭・置屋・芸妓衆など花街統括管理主な業務です。

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