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曾我兄弟の敵討ち:孝行阿弥陀:城前寺(じょうぜんじ)
令和六年八月現在、ご朱印は授与されていないようです。
門前には『曾我兄弟之遺跡』と書かれた石碑がありました。
曾我兄弟の仇討ち
由緒
曾我兄弟の菩提寺で、兄弟の育った曾我城の大手前にあるので、寺の名になりました。
建久四年(1193年)に富士の裾野で兄弟が父の仇の工藤祐経を討った後、
叔父の宇佐美禅師は、その遺骨を携え、此の地に来て庵を結び、
兄弟の菩提を弔ったのが寺の始まりと伝えられます。
討ち入りの時は暗夜であったため、兄弟は傘を燃やして松明にした故事にちなみ、
毎年5月28日には境内で傘を焼いて兄弟の霊を慰める「傘焼きまつり」が行われます。
本堂
阿弥陀如来坐像(孝行阿弥陀)
阿弥陀如来坐像は、忠臣蔵で知られる赤穂義士の一人・吉田忠左衛門兼亮の遺児で、
当寺十四世の到誉達玄和尚が、元文元年(1736年)に亡父の三十三回忌に当たって、
造像したものです。
昔から『孝行阿弥陀』とも呼ばれています。
境内からの眺め
城前寺は高台にあり、周囲が良く見えます。かつては城であったことがわかります。
六地蔵その他石仏
曽我谷津岩本遺跡第Ⅰ地点
城前寺山門の前には、「曽我谷津岩本遺跡第Ⅰ地点」の案内看板がありました。
平成十八年(2006年)の城前寺境内北側発掘調査で、縄文時代後期の住居が見つかりました。
寺院情報
- 住所:神奈川県小田原市曽我谷津592
- アクセス:JR御殿場線下曽我駅下車徒歩約10分
ご覧頂きましてありがとうございます。
建久四年(1193年)5月28日に、源頼朝が行った富士の巻狩りの際、
曾我十郎祐成(そがすけなり)と曾我五郎時致(そがときむね)の兄弟が、
父親の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を富士野で討った事件です。
『赤穂浪士の討ち入り』・『伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻)』と並んで、
日本三大仇討ちの一つです。
兄・十郎祐成が二十二歳、弟・五郎時致が二十歳でした。
十郎は仁田忠常と対峙し討たれ、五郎は捕縛され、源頼朝により処刑されました。
その後、能や歌舞伎など「曾我物」が多く作られました。