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開山・法然上人:お骨佛の寺:大坂冬の陣・徳川家康本陣:天王寺一心寺(いっしんじ)
法然上人二十五霊場
専用の御朱印帳で巡拝しました。
由緒
文治元年(1185年)に四天王寺の別当であった慈円の要請によって、
法然が四天王寺西門の坂のほとりに四間四面の草庵『荒陵(あらはか)の新別所』を結び、
源空庵と呼ばれるようになりました。
慶長元年(1596年)三河国の僧・本誉存牟(ほんよぞんむ)上人が、一心寺として再興しました。
慶長五年(1600年)には、大坂で夭折した徳川家康の八男・仙千代の葬儀が行われました。
大坂冬の陣では茶臼山に隣接した一心寺に、徳川家康の陣が置かれました。
仁王門
鉄とコンクリートで造られた特徴的な仁王門は、平成九年に建立されました。
昭和二十年の大阪大空襲で焼失した旧山門は、大坂城玉造御門が移築され、
黒門と呼ばれました。
彫刻家・神戸峰男氏による、高さ五メートル余りの仁王尊が迎えてくれます。
大本堂
納骨堂とお骨佛
明治二十年(1887年)に嘉永四年(1851年)から集められた約五万体の遺骨から、
阿弥陀如来像を制作したのがお骨佛の始まりです。
念佛堂
念佛堂は一心寺前交差点からもよく見えます。
鐘楼堂
『会津藩士の墓』という石碑がありました。
鳥羽伏見の戦いで亡くなった会津藩士の墓があります。
開山堂
開山の法然上人が祀られています。昭和二十年の大阪大空襲で焼失しましたが、
昭和四十八年に再建されました。
伝・『真田の抜け穴』井戸跡
『真田の抜け穴』といわれた井戸があったようです。
近くには真田幸村戦死の場所である安居神社があります。
戊辰戦争東軍戦死者招魂碑
鳥羽伏見の戦いの東軍の招魂碑があります。
八代目・市川團十郎
天保年間から幕末にかけて活躍した八代目・市川團十郎の墓がありました。
北門
国道25号線沿いに北門がありました。
南門
南門を出ると茶臼山(ちゃうすやま)が見えます。
一心寺のご朱印
法然上人二十五霊場第七番札所:ご朱印
寺院情報
- 住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪2-8-69
- アクセス:大阪メトロ御堂筋線天王寺駅徒歩約15分・大阪環状線天王寺駅徒歩約15分
- HP:https://www.isshinji.or.jp/index.php
天王寺一心寺周辺
逢坂(一心寺前)から見る通天閣
一心寺北門前の逢坂から見た通天閣です。
ご覧頂きましてありがとうございます。
法然上人(ほうねんしょうにん)二十五霊場は、
浄土宗の開祖である法然上人にゆかりのある地を巡ります。
宝暦年中(1751年~1763年)の頃、大阪・難波の順阿と京都・洛西の廊誉の二人の僧が、
法然上人ゆかりの霊場二十五箇所を巡拝したことが始まりといわれ、
昭和四十九年(1974年)の浄土宗開宗800年を記念して再興されました。
京都・大阪・奈良・兵庫・三重・和歌山・岡山・香川に霊場があります。