旧寺島村(てらじまむら):白髭神社(しらひげじんじゃ)
隅田川七福神めぐり
隅田川七福神めぐり公式HP:https://www.sumidagawashichifukujin.com/
向島百花園・向島長命寺・白髭神社は1月1日~7日までの期間内に、
七福神のご朱印を頂けます。その他の寺社は通年頂けます。
隅田川七福神めぐり・寿老神
江戸時代の文化年間に、向島に七福神をそろえたいと考えた時、
どうしても寿老人が見つかりませんでしたが、
白髭大明神をその名から、白い髭を生やした“寿老神”としました。
隅田川七福神めぐりだけ、寿老人の名を“寿老神”と神の名を使う所以です。
江戸・東京の農業:寺島(てらじま)ナス
東京の神社を参拝していると、
『江戸・東京の農業』と書かれた黒い看板を目にすることがあります。
平成九年(1997年)にJA東京グループが農業協同組合法施行50周年記念事業として、
東京都神社庁などとの協力により、
『江戸・東京の農業野外説明板』が都内50箇所に設定されています。
参照HP:JA東京中央会『東京農業歴史めぐり』
https://www.tokyo-ja.or.jp/farm/edomap/
今では希少価値のある農産物についてや、
寺社のある地域とのゆかりについても知ることができます。
この地域一帯は水田を主とする近郊農村でしたが、
隅田川上流から運ばれてきた肥沃な土はナス作りにも適し、
ナスの産地として、その名も『寺島ナス』と呼ばれていました。
農家は収穫したナスを船を使って、千住や本所四ツ目、神田の土物店(青物市場)
由緒
天暦五年(951年)に慈恵大師が関東に下った時に、
近江国比良山麓に鎮座する白髭大明神の御分霊を祀りました。
社標と鳥居
鳥居
社殿
江戸時代の狛犬
御祭神の猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内をした神話より、
お客様をわが店に案内する神として信仰されました。
社前の狛犬は、山谷の料亭「八百善」として有名な八百屋善四郎、
吉原の松葉屋半左衛門が、文化十二年に奉納したものです。
山王向島講社の碑
山王向島講社はかつて向島地域にあった富士講の一つで、
明治八年(1875年)七月頃には既に存在してました。
石碑は大正十一年(1922年)に建立されました。
鷲津穀堂之碑(わしづきどうのひ)
この石碑は、幕末から明治にかけて活躍した官僚、
鷲津穀堂の事績を称えるために建立されました。
碑文の彫刻は「井亀泉(せいきせん)」こと酒井八右衛門によるものです。
岩瀬鴎所(いわせおうしょ)の墓碑
岩瀬鷗所は江戸時代末期の外交家で、名は忠震(ただなり)です。
幕府の鎖国政策を非難し、砲台を築き軍艦を造り、講武所と蕃書調所を設け、
海軍伝習を始めるのにも参画しました。
後に将軍徳川家定の後嗣選定の問題で、大老井伊直弼と対立し、
安政六年八月に官位を奪われ、蟄居を命ぜられました。
その後向島に蟄居し、もっぱら読書文芸にふける悠々自適の生活を送りましたが、
文久元年(1861年)に四十四歳で没しました。
摂社:諏訪社
白髭神社のご朱印
令和五年拝受:ご朱印
令和六年正月拝受:金字ご朱印
隅田川七福神めぐり・寿老神:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都墨田区東向島3-5-2
- アクセス:東武伊勢崎線東向島駅下車徒歩約9分
- HP:https://shirahigejinja951.wixsite.com/shirahigejinja
白髭神社周辺
志”満ん草餅
白髭神社の近くに『志”満ん草餅(じまんくさもち)』のお店があります。
草餅は生のよもぎが使われています。
あんなしの草餅には、くぼみの部分に白みつときなこを入れて頂きます。
あんいりもあんなしも美味しく頂きました。
志”満ん草餅(じまんくさもち):https://jimankusamoti.com/index.html
子育地蔵堂
文化年間(1804年~18年)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に、
土中から発見されたと伝えられています。
天保三年(1832年)四月に江戸幕府第十一代将軍の徳川家斉が鷹狩に来た際参拝し、
その後人々はこぞって参拝しました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
隅田川七福神は、向島百花園の園主である佐原鞠塢(さはらきくう)や、
向島百花園に集う江戸後期の文人たちによって選ばれました。
庶民の間に流行させたのは、明治三十一年(1898年)頃に結成された隅田川七福会でした。
明治三十二年(1899年)に七福会によって、
途絶えていた隅田川七福神参りが再開されました。
布袋尊:弘福寺(ぐふくじ)
弁財天:向島長命寺(ちょうめいじ)
福禄寿尊:向島百花園
毘沙門天:多聞寺
寿老神:白髭神社(しらひげじんじゃ)
恵比寿神・大国神:三囲神社(みめぐりじんじゃ)