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『全国東照宮めぐり』で参拝した徳川家康公を祀る神社をまとめてみました
全国東照宮めぐり
全国東照宮めぐり:御朱印帳


御朱印帳は日光東照宮で頂きました。
東照公御遺訓

栃木県の東照宮
日光東照宮:栃木県日光市
寛永十三年(1636年)に三代将軍の徳川家光により『寛永の大造替』が始められ、
壮大な社殿への大規模に改築されました。
正保二年(1645年)に朝廷から宮号が授与されて、東照社から東照宮に改称されました。
日光東照宮奥宮:栃木県日光市
奥宮は御祭神徳川家康の墓所となります。
東回廊の潜門(くぐりもん)、坂下門と二つの門を通ると奥宮への参道となります。
日光東照宮御仮殿:栃木県日光市
御仮殿は、日光東照宮御本社を修理する際、御祭神を一時的に移す為の御殿です。
静岡県の東照宮
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう):静岡県静岡市駿河区
徳川家康の死後、遺命により、その遺骸は久能山に葬られました。
江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の命により、わずか一年七か月の短期間で造営されました。
平成二十二年(2010年)に国宝に指定されました。
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ):静岡県静岡市葵区
鎮座地の賤機山(しずはたやま)は『静岡の地名発祥の地』といわれています。
城岡神社(しろおかじんじゃ):静岡県沼津市
沼津城の守護神として奉斎されました。
明治七年(1874年)に東照宮(東照大権現)が相殿され、
明治三十六年(1903年)に城岡神社に改称されました。
五社神社諏訪神社(ごしゃじんじゃすわじんじゃ):浜松市中区
天正七年(1579年)に後の江戸幕府二代将軍の徳川秀忠が誕生した際、
産土神として崇敬され、天正八年(1580年)に現在地に遷座されました。
埼玉県の東照宮
仙波東照宮(せんばとうしょうぐう):埼玉県川越市
元和三年(1617年)に徳川家康が没後、その遺骸が久能山から日光に移葬する際、
喜多院に四日間逗留した縁から、天海僧正が寛永十年(1633年)に創建しました。
忍東照宮・諏訪神社(おしとうしょうぐう・すわじんじゃ):埼玉県行田市
文政六年(1823年)に松平忠堯(まつだいらただたか)は、
伊勢桑名藩から移封するにあたり、城内字下荒井の地へ東照宮が勧請されました。
三峰神社(みつみねじんじゃ):埼玉県秩父市
境内には東照宮が鎮座されています。
秩父神社(ちちぶじんじゃ):埼玉県秩父市
境内には東照宮が祀られています。
東京都の東照宮
上野東照宮:東京都台東区
寛永四年(1627年)に東叡山寛永寺が創建された際、
同じく創建された『東照社』が上野東照宮の始まりです。
浅草神社:東京都台東区
元和四年に浅草寺境内に東照宮が勧請されましたが、寛永十九年に焼失しました。
その後浅草神社に合祀されました。
芝東照宮:東京都港区
徳川家康が還暦の時に自らの像を刻ませた、等身大の『寿像』を祀る安国殿が、
芝東照宮の起源です。元和三年(1617年)に増上寺の境内に創建されました。
芝大神宮:東京都港区
相殿で徳川家康公が祀られています。
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ):東京都府中市
家康の棺が久能山より日光に遷される際、国府の斎場に一夜逗留され、
その遺跡を後世に伝えるため、江戸幕府二代将軍の徳川秀忠の命で造営されました。
群馬県の東照宮
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう):群馬県太田市
寛永二十一年(1644年)江戸幕府三代将軍の徳川家光は、
日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、徳川家康公を祀りました。
徳川東照宮:群馬県太田市
徳川遠祖の御館跡に、大正三年(1924年)に徳川郷内の永徳寺より権現堂を移築し、
拝殿としました。
前橋東照宮:群馬県前橋市
徳川家康の次男の結城秀康の五男である松平直基が、
寛永元年(1624年)に越前勝山にて創建しました。
茨城県の東照宮
水戸東照宮:茨城県水戸市
元和七年(1621年)に水戸藩初代藩主の徳川頼房が、
父親である徳川家康を祀ったのがはじまりです。
大阪府の東照宮
豊崎神社:大阪府大阪市北区
東照宮社は慶長十九年(1614年)の大阪冬の陣の際に、徳川家康が足立市兵衛宅に立ち寄り、
そこの麦飯に喜んで、家紋と家名を賜ったという故事から、
足立邸に勧請されたのがはじまりです。
ご覧頂きましてありがとうございます。
昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
『全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年の徳川家康没後四百年忌にご朱印帳が作成されました。
『全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。