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鎌倉幕府有力御家人・北条時政ゆかりの地:史跡北条氏邸跡(円成寺跡)
鎌倉幕府有力御家人:北条時政
北条氏邸跡由緒
鎌倉幕府有力御家人であった北条氏の本拠地は伊豆の守山周辺にあったそうです。
平成四年(1992年)~五年(1993年)の発掘調査では、
平安時代末期から鎌倉時代初期の遺物と建物跡が見つかり、北条氏の館と確認されました。
近くには『願成就院』や『北条政子産湯の井』などがあります。
円成寺跡由緒
鎌倉幕府滅亡後、十四代執権の北条高時の母である覚海円成が、
北条氏の一族の女性とともに韮山に移り住み、
一族の菩提を弔う為、円成寺(えんじょうじ)を建立しました。
室町時代には関東管領の上杉氏の娘などが尼僧として寺に入っていました。
円成寺が最も繁栄したのは、山内上杉氏の庇護を受けた時期でした。
寛正元年(1460年)にそれまで御所としていた国清寺を火災で失った堀越公方の足利政知が、
円成寺を接収して御所としました。その後円成寺は廃寺となりました。
北条氏邸跡(円成寺跡)当時の様子
ガラスを通して当時の円成寺の様子が分かります。
現在の様子
現在遺構は調査中です。訪問時は係りの方が草刈りをされていました。
北条氏邸跡(円成寺跡)情報
- 住所:静岡県伊豆の国市寺家13
- アクセス:伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅徒歩15分
ご覧頂きましてありがとうございます。
伊豆国の豪族で、最初伊豆に流された源頼朝の監視役でしたが、
娘の北条政子が源頼朝の妻となると、頼朝とともに平家打倒の挙兵をし、
平家滅亡後は鎌倉幕府初代執権となりました。
その後三代将軍の源実朝を殺害し、
娘婿の平賀朝雅を新将軍に擁立しようとした企み(牧氏の変)が発覚し、
伊豆へ追放されました。
建保三年(1215年)に伊豆で亡くなりました。享年七十八でした。