旧乃木邸跡:乃木神社(のぎじんじゃ)
日露戦争の司令官で陸軍大将の乃木希典公を祀った神社です。
乃木坂(のぎざか)
乃木邸のあった坂は元々『幽霊坂』と呼ばれていました。
乃木大将が殉死された大正元年九月に『乃木坂』と改名されました。
乃木坂陸橋のそばに乃木神社はあります。
軍歌:水師営の会見
乃木希典は日露戦争終結後に、水師営(旅順の北側の村)という場所で、
敗軍の将であるロシアのステッセル将軍と会見しました。
その時に模様は当時の文部省唱歌となりました。
乃木夫妻の殉死
由緒
時の東京市長を中心に乃木邸内に夫妻の御霊を祀り、
毎年九月には祭儀を斎行するなど、
夫妻の精神を広く後世に伝えようとする活動が活発に行われていました。
大正八年(1919年)には乃木神社創立の許可が下り、
明治神宮創建の後、大正十二年(1923年)に鎮座祭が斎行されました。
一の鳥居
二の鳥居
社殿
昭和二十年(1945年)の空襲で社殿が焼失しましたが、
昭和三十七年(1962年)復興されました。
正松神社(せいしょうじんじゃ)
社殿右側に正松(せいしょう)神社の入口があります。
乃木希典は吉田松陰を追慕して、
松下村塾で松陰の叔父である玉木文之進に学びました。
玉木文之進は吉田松陰の死後も多くの子弟の教育に努めました。
昭和三十八年に乃木神社復興を機に、
萩の松陰神社より玉木文之進と吉田松陰の二柱の御分霊を勧請し、
正松神社に祀りました。
摂社:赤坂王子稲荷神社
二の鳥居より境内に入って左側に、赤坂王子稲荷神社があります。
乃木希典夫妻の崇敬が篤かった王子稲荷神社の御神霊を、
戦災復興記念の昭和三十七年に勧請しました。
令和六年絵馬
教育の碑
明治四十一年に乃木希典が学習院院長に任命された頃に、生徒心得の為に、
明治天皇より賜った御製です。
竹添井々文学碑
宝物殿
社殿のそばには宝物殿があります。乃木希典にまつわるゆかりの品々が展示されています。
旧乃木邸
乃木邸入口
旧乃木邸
ドイツ留学の折、フランス陸軍の兵舎のスケッチを元に自ら設計されたそうで、
飾り気のない質素の外観が特徴的です。
邸内は年に何回か公開されているようです。
乃木大将夫妻瘞血之處(えいけつのところ)
乃木大将夫妻が殉死された際に血の付いたものを埋めたところです。
馬小屋
水師営の会見の際に、ロシアのステッセル将軍より贈られた愛馬の馬小屋です。
住宅が木造であるのに対し、
馬小屋のほうがレンガ造りで立派だという評判になったそうです。
乃木大将と辻占売の少年の像
乃木は訪問先の金沢にて、
辻占売で一家の生計を支える少年と出会いました。
乃木は少年を励まし、金弐円を渡し、少年はこの恩を忘れることなく努力を重ね、
後に金箔業の世界で成功をおさめたそうです。
こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和四十三年に建立されました。
旧乃木邸裏門
乃木公園
乃木神社と旧乃木邸に隣接する場所には乃木公園があります。
明治十二年に乃木希典はこの地を買い求め、三十五年に新築しました。
乃木夫妻の殉死後、遺言により邸宅は東京市に寄付され、整備ののち、
公園として開園されました。
乃木神社のご朱印
平成十八年拝受:乃木神社・ご朱印
令和六年拝受:乃木神社・ご朱印
令和六年拝受:正松神社・ご朱印
令和六年拝受:赤坂王子稲荷神社・ご朱印
神社情報
- 住所:東京都港区赤坂8-11-27
- アクセス:東京メトロ千代田線乃木坂駅すぐ
- HP:https://www.nogijinja.or.jp/
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明治四十五年(1912年)七月三十日に明治天皇が崩御され、
御大葬の日と決まった大正元年九月十三日、
明治天皇の棺を乗せた車が皇居を出発する号砲が打たれた午後八時過ぎ、
乃木希典と妻の静子は殉死を遂げられました。