Contents
御祭神・楠木正行(くすのきまさつら)公:桜井の別れ:小楠公:四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)
建武中興十五社
建武中興十五社巡拝案内記
建武中興十五社巡拝案内記は、冊子タイプのご朱印帳です。
御祭神
贈従二位:楠木正行(くすのきまさつら)公
大楠公・楠木正成の嫡男で、正平二年に兵を起し、
北朝の大軍を立て続けに破ったことから、
『不可思議(人智を超越した事象)の事なり』と北朝から畏怖されました。
桜井の別れ
建武三年(1336年)に山陽道を怒涛の如く西上してきた足利尊氏軍に対し、
・尊氏との和睦。
・都を捨てて比叡山に登り、空になった都に尊氏を誘い、
兵糧攻めにする。
などの策を後醍醐天皇に聞き入れられなかった楠木正成は死を覚悟し、
戦場に赴くことになりました。
西国街道の桜井駅で、数え年11歳の息子正行に今生の別れを告げた場面です。
楠木正成は湊川で戦死し、その地は湊川神社が建てられています。
由緒
四条畷の戦いで戦死した楠木正行のお墓は楠塚と呼ばれていました。
南朝側は楠木正行・正時の兄弟で、
北朝側は室町幕府執事の高師直と、引付方頭人の佐々木道誉との戦いです。
明治時代に楠木正成が大楠公として神格化されると、
正行も小楠公と呼ばれ崇められ、楠塚も小楠公墓所と改められ、規模も拡大しました。
明治二十二年(1889年)に神社の創立と社号の宣下が勅許され、
翌年明治二十三年(1890年)に四條畷神社が創建されました。
創建以降、鉄道も開業し、神社周辺が大いに栄えると、
昭和七年(1932年)には地名も甲可村から四條畷村に改称され、
今の市名へと引き継がれていきました。
神明鳥居と社殿
神明鳥居は鎮座百年にあたり、伊勢神宮より拝受しました。
社殿
紅葉のきれいな階段や境内
紅葉がきれいですが、桜の名所としても有名だそうです。
四條畷神社のご朱印
平成十八年拝受:建武中興十五社巡拝帳・ご朱印
平成十八年拝受:ご朱印
平成二十六年拝受:ご朱印
神社情報
- 住所:大阪府四條畷市南野2-18-1
- アクセス:JR四条畷駅徒歩15分
ご覧頂きましてありがとうございます。
建武中興十五社は、
建武中興に尽力した南朝方の皇族や武将を御祭神とする、
十五の神社です。
吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町):後醍醐天皇
鎌倉宮(神奈川県鎌倉市):護良親王
井伊谷宮(静岡県浜松市北区):宗良親王
八代宮(熊本県八代市):懐良親王
金崎宮(福井県敦賀市):尊良親王・恒良親王
小御門神社(千葉県成田市):藤原師賢
菊池神社(熊本県菊池市):菊池武時・菊池武重・菊池武光
湊川神社(兵庫県神戸市中央区):楠木正成
名和神社(鳥取県西伯郡大山町):名和長年
阿部野神社(大阪府大阪市阿倍野区):北畠親房・北畠顕家
藤島神社(福井県福井市):新田義貞
結城神社(三重県津市):結城宗広
霊山神社(福島県伊達市):北畠親房・北畠顕家・北畠顕信・北畠守親
四條畷神社(大阪府四條畷市):楠木正行
北畠神社(三重県津市):北畠顕能・北畠親房・北畠顕家