東京都文京区:小石川七福神・毘沙門天:源覚寺のご朱印

こんにゃくえんま:源覚寺(げんかくじ)

小石川七福神

小石川七福神

古くは江戸七福神に数えられていた福聚院の大黒天や、
かつて小石川後楽園にあり、今は東京ドーム再び祀られるようになった福禄寿など、
古くから小石川界隈に祀られていた七福神に、
男弁財天を加えた八ヶ所の小石川七福神として、平成五年(1993年)に始まりました。
深光寺、徳雲寺、宗慶寺、極楽水、真珠院、福聚院、源覚寺、東京ドーム(福禄寿)

こんにゃくえんま

こんにゃくえんま

宝暦(1751年~1764年)頃、
眼病を患った一人の老婆閻魔大王二十一日間の祈願を行ったところ、
大王は自らの右目を盲目とし、老婆の目を治しました。
老婆は感謝のしるしとして、自ら好物の「こんにゃく」を断ちました。
以来源覚寺の閻魔さまは、
こんにゃくえんま』と呼ばれるようになったという故事があります。

源覚寺の『閻魔王木造坐像』の右目が割れて黄色く濁っているのは、
このような訳があるそうです。

由緒

創建寛永元年(1624年)で、定誉随波(じょうよずいは)上人によって開創されました。
『明暦の大火』(1657年)『お薬園火事』(1762年)、『戸崎町火事』(1774年)や、
『富坂火事』(1884年)
四回もの大火にも、御本尊や閻魔さま難を逃れ
東京大空襲でも本堂の延焼は免れました。

眼病治癒の閻魔さまとして、人々の信仰を集めています。

閻魔堂

閻魔堂には閻魔様の絵が飾られ、こんにゃくが供えられていました。

こんにゃくは「困厄」という、苦しみや災いを表す言葉に通じるものがあります。
今もこんにゃくお供えして、閻魔様に身代わりをお願いし、
困厄」から逃れようとお参りする人が後を絶たないそうです。

本堂

本堂昭和五十四年(1979年)に再建されました。

小石川七福神:毘沙門堂

塩地蔵尊

源覚寺の創建以前よりこの地にあって、人々の信仰を集めたという事です。

汎太平洋の鐘

元禄三年(1690年)粉河丹後守により奉納されましたが、
昭和十二年(1937年)サイパン島南洋寺に転出されました。
その後消息不明でしたが、昭和四十年(1965年)米国テキサス州発見され、
昭和四十九年(1974年)に戻ってきました。

海軍第十四期専修飛行予備学生の碑

海軍第十四期専修飛行予備学生でした源覚寺二十四世祐昭上人は、
特攻によって亡くなった戦友の追悼の為、昭和六十三年に建立されました。

南洋群島物故者慰霊観音

かつて日本の委任統治領であった南洋群島において、
開拓の際に亡くなられた方戦争で亡くなった将兵在留邦人冥福を祈る為に、
遥拝所として観音像が建てられました。

観音像の裏には南洋諸島海没者鎮魂の碑もありました。

寺院のお言葉

『忘恩:借りた傘 雨が止んだら 邪魔になる』

源覚寺のご朱印

平成二十二年拝受:ご朱印

平成二十九年拝受:ご朱印

平成二十九年拝受:小石川七福神・毘沙門天:ご朱印

令和五年拝受:小石川七福神・毘沙門天:ご朱印

寺院情報

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