富士塚:稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)
新宿山ノ手七福神めぐり
開運恵比寿神社
恵比寿神が祀られています。
鳥居の上には恵比須様の福財が積まれた恵比寿船が安置されています。
文化年間に松平出雲守邸内より出現した神像で、御後室の居間に安置してあったものを、
松平氏より祈願所である二尊院(東大久保)に奉納されました。
二尊院は稲荷鬼王神社の社家大久保家が別当職として守っていましたが、
嘉永六年に二尊院が火災に遭い、後に恵比寿神を稲荷鬼王神社境内に奉斎し、
現在に至っています。
恵比寿祭り
毎年十月十九日~二十日は『新宿ゑびす祭』として、
境内に縁起物の「べったら店」が出店されます。
富士塚(ふじづか)
富士信仰に基づいて、富士山に模して造られた山や塚のことです。
江戸時代に始まったもので、特に関東地方の神社に多く見られます。
既に存在する丘や古墳を転用して富士山に見立てたものや、
富士山の溶岩を積み上げたものがあります。
浅間神社の境内にあり、富士塚の山頂にも浅間神社奥宮が設けられています。
富士塚(西久保の厄除け富士)
昭和五年(1930年)に境内社として浅間神社が再興され、境内に富士塚が造成されました。
南側の鳥居に富士塚があります。現在は出口専用になっています。
由緒
古来よりこの地は大久保村の聖地とされていましたが、
承応二年(1653年)に氏神として稲荷神社が建てられました。
百姓の田中清右衛門は旅先での病気平癒への感謝から、
紀州熊野より鬼王権現が勧請され、天保二年(1831年)に稲荷神社と合祀し、
稲荷鬼王神社となりました。
鬼王権現(きおうごんげん)
紀州熊野には鬼王権現が現存しない為、『全国一社福授け』の御名があります。
湿疹・腫れ物をはじめ諸病一切に豆腐を献納し、治るまで本人或いは代理の者が豆腐を断ち、
『撫で守り』で患部を祈りつつ撫でれば必ず平癒するといわれました。
節分は鬼を春の神として、『福は内、鬼は内』と唱えます。
社殿
昭和四十三年(1968年)に社殿は再建されました。
鬼王神社の水鉢
文政年間(1818年~1829年)頃に制作されたもので、
うずくまった姿の鬼の頭上に水鉢を乗せた珍しい様式です。
高さ一メートル余りで、安山岩で出来ています。
水鉢伝説の石碑には、
『この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、
毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。
その後家人に病災が頻繁に起こったので、天保四年(1833年)当社に寄進された。
台石の肩辺にはその時の刀の痕跡が残っている・・・』とあります。
天水琴
平成十六年に水琴窟師の田村光氏により雨水を利用した水琴窟、
『天水琴』が作られました。
鎮守の杜まちかど博物館
稲荷鬼王神社の境内隣接地にはかつて『大久保館』という映画館があったそうです。
地元に映画館があったことを知ってもらおうと、
平成十六年(2004年)より映画資料を収集し、平成二十六年(2014年)に常設掲示板を開設し、
貴重な映画資料やポスターが展示されています。
稲荷鬼王神社のご朱印
令和五年拝受:稲荷鬼王神社・ご朱印
新宿山ノ手七福神めぐり・恵比寿神:開運恵比寿神社:ご朱印
令和五年拝受:西久保厄除け富士・ご朱印
神社情報
- 住所:東京都新宿区歌舞伎町2-17-5
- アクセス:都営大江戸線東新宿駅徒歩2分
稲荷鬼王神社周辺
島崎藤村旧居跡
稲荷鬼王神社の近隣にある「ノア新宿ビル」は、
明治の小説家の島崎藤村旧居跡の石碑がありました。
藤村はここで長編社会小説『破戒』を完成させ、作家としての名声を不動のものとしました。
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昭和初期に創設されたと伝えられています。
徒歩で約7キロのコースになります。
布袋尊:太宗寺(たいそうじ)
恵比寿神:稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)
福禄寿:永福寺(えいふくじ)
弁財天:抜弁天厳嶋神社(ぬけべんてんいつくしまじんじゃ)
※元旦から七日までの期間以外は西向天神社で授与されます。
寿老人:牛込法善寺(ほうぜんじ)
大黒天:原町経王寺(きょうおうじ)
毘沙門天:神楽坂善國寺(ぜんこくじ)
ご朱印は通年頂く事ができます。