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石垣山一夜城のふもと:石垣山海蔵寺(かいぞうじ)
令和六年八月現在、ご朱印は授与されていないようです。
由緒
海蔵寺は、豊臣秀吉の小田原城北条攻めの際に築かれた、石垣山一夜城のふもとにあります。
海蔵寺は嘉吉元年(1441年)に小田原城主の大森氏によって建立されました。
開山は大森氏の一族、安叟宋楞(あんそうそうりょう)禅師で、
曹洞宗小田原三山に数えられる名刹です。
寺内山の手の墓地に、天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の小田原攻めに参戦した、
豊臣方の大名、堀秀政(越前北ノ庄18万石)の墓があります。
堀秀政は小田原攻めの5月に病に冒され、同月27日に早川の陣中で三十八歳の若さで病没し、
海蔵寺に埋葬されました。
参道
本堂
堀秀政墓所
本堂右側から墓所のほうに歩くと、堀秀政墓所の案内看板が出て来ました。
秀政の墓碑は小田原城や相模湾を見渡せるこの地に建ち、
殉死したと思われる家臣・大野左京らの墓に囲まれています。
堀秀政(ほりひでまさ)
海蔵寺から小田原城の眺め
海蔵寺墓所からは小田原城の天守閣が良く見えます。
相模湾の眺めも見事でした。
寺院情報
- 住所:神奈川県小田原市早川766
- アクセス:JR早川駅より徒歩約5分
ご覧頂きましてありがとうございます。
堀秀政は、天文二十二年(1553年)に美濃国に生まれ、十一歳で織田信長に仕えました。
天正九年に二十九歳で長浜城主を任せられるほど、信長の信任は厚い人物でした。
翌十年に信長が本能寺の変で討たれた後、豊臣秀吉の麾下(きか)となり、
この年に越前北ノ庄十八万石の大名になりました。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の小田原攻めに参戦しましたが、
五月に病に冒され、同月27日に早川の陣中で三十八歳の若さで病没し、
海蔵寺に埋葬されました。海蔵寺の他に、福井の長慶寺にも墓があります。