鎌倉三十三観音霊場第四番札所:江の島七福神大黒天:長谷寺(はせでら)
坂東三十三観音霊場
坂東三十三観音霊場は専用の御朱印帳でお参りさせて頂きました。
鎌倉三十三観音霊場
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所の杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
江の島七福神
江の島七福神巡りが始まったのは昭和五十七年のお正月からです。
江の島七福神:御朱印帳
由緒
天平八年(736年)に大和の長谷寺の開基徳道上人を、
藤原房前(ふささき:藤原鎌足の孫)が招聘し、
十一面観音像を本尊として開山したといわれています。
康永元年(1342年)に足利尊氏が伽藍と諸像の修復を行いました。
明徳三年(1392年)には足利義満が観音像の光背を修復し、
行基作といわれる像を前立として安置しました。
その後、北条氏康の寄進や、徳川家康からの朱印状を受け、
慶長十二年(1602年)の徳川家康による伽藍修復を期に浄土宗に改宗しました。
関東大震災で諸堂が倒壊しましたが、
その後六十年以上かけて、昭和六十一年に現在の堂宇は再建されました。
観音堂
本尊である日本最大級の木造十一面観音像が安置されています。
像高9.18メートルあり、室町時代の作と推定されています。
養老五年(721年)に徳道上人は大和国の山中に見つけた楠の大木から、
二体の十一面観音像を造りました。
一体は大和長谷寺の観音像となり、もう一体は祈祷の上、海に流されました。
十五年後に三浦半島の長井浦に流れ着いた観音像が長谷寺の御本尊となります。
大黒堂(江の島七福神大黒天)
江の島七福神の一つ大黒天像を祀ります。
地蔵堂
地蔵堂は堂宇の老朽化に伴い、平成十五年に再建されました。
お祀りする地蔵尊も『子安』『繁栄』の『福壽地蔵』が造立されました。
経蔵
内部にある回転式書架の『輪蔵』に、一切経(大蔵経)が収められています。
弁天堂
弁財天像は弘法大師が弁天窟に参籠した際、
自ら刻んだ尊像といわれています(現在宝物館に収蔵)
弁天窟(べんてんくつ)
弘法大師参籠の地と伝わる洞窟です。
境内
池や竹林など自然豊かな庭園があります。
かきがら稲荷
御本尊に付着していた蛎殻(かきがら)を祀っているという伝承があります。
和み地蔵
一緒に写真を撮る為の行列が出来る程、人気の撮影スポットになっていました。
良縁地蔵
境内にある文学碑
高山樗牛(たかやまちょぎゅう)住居碑
高山樗牛は明治を代表する評論家・思想家で文学者です。
最晩年を長谷寺境内で過ごしました。
静岡の龍華寺には高山樗牛のお墓があります。
樗牛館には遺品や原稿などが展示されています。
大野万木句碑
左奥の句碑『観音の 慈顔尊し 春の雨』
作者の元衆議院議長大野伴睦(おおのばんぼく)氏は、
俳句作家の名は『万木(ばんぼく)』でした。
久米正雄胸像
小説家の久米正雄の胸像です。夏目漱石門下で流行作家として活躍しました。
昭和二十七年鎌倉で亡くなりました。
長谷寺のご朱印
坂東三十三観音霊場第四番札所:ご朱印
鎌倉三十三観音霊場第四番札所:ご朱印
江の島七福神:大黒天:ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市長谷3-11-2
- アクセス:江ノ島電鉄長谷駅徒歩5分
- HP:https://www.hasedera.jp/
長谷寺周辺
旅館對僊閣(たいせんかく)
長谷寺の参道にある『旅館對僊閣』は明治末期より旅館業を営んでいます。
現在の建物は昭和二年(1927年)に建てられたようです。
高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子も宿泊したそうです。
素泊まり¥6,000、一泊朝食付き¥7,800だそうです。
玄関先には鉄道模型が展示されていました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。