狭山(さやま)三十三観音霊場・第十一番札所:国指定重要文化財・元弘の板碑(元弘三年斎藤盛貞等戦死供養碑):徳蔵寺(とくぞうじ)
武蔵野三十三観音霊場
専用の御朱印帳を購入して巡拝しました。
狭山(さやま)三十三観音霊場
狭山三十三観音霊場は、
所沢市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町・入間市の六市町にわたって、
多摩湖・狭山湖の周りを「の」の字を描くように点在しています。
天明八年(1788年)の開創と伝えられます。
秩父三十四観音霊場・武蔵野三十三観音霊場と合わせて、
『武蔵の国百観音』と呼ばれています。
第一番札所の山口観音金乗院で専用の御朱印帳を購入しました。
白衣観音:狭山観音霊場第十一番札所
由緒
永禄三年(1560年)に創立され、元和年中(1615年~1623年)の開山と伝えられています。
徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、
寛永十二年(1635年)に璧英(へきえい)禅師を奉請し、中興開山となってもらい、
自らは中興二世となりました。
山門
これまで無かった山門は、平成二十二年に新築されました。
参道
参道脇には狭山観音霊場第十二番札所の永春庵があります。
昭和五十七年に改築落慶されました。
狭山観音霊場第十二番札所:永春庵
智明宗察(ちみょうそうさつ)禅師の開祖で、方充和尚大禅師が中興しました。
江戸時代中期に八国山の将軍塚から元弘の碑とともに徳蔵寺境内に移されました。
本堂
本堂は昭和五十七年に改築落慶されました。
寺院のお言葉
『実際のことがらの成就は、菩薩を信じ、その加護を祈りつつ、
自分で努力するかどうかによります。
(中略) 観音様への祈りとは「自分の内なる力を出せますように」という祈り・・・』
「あなた自身が神様なのです」というお言葉を頂きました。
六地蔵尊
正位寺跡地蔵尊
十体の正位寺跡地蔵尊は、江戸時代末期から明治頃に、正位寺とともに移転されました。
板碑保存館
国指定重要文化財の『元弘の板碑』など約170基の板碑や、
土器・石器などが保存されています。
『元弘の板碑』はかつて近くにある八国山の将軍塚に建てられていました。
増上寺文昭院前奉納燈籠
境内には増上寺の文昭院(ぶんしょういん:江戸幕府六代将軍徳川家宣)霊廟前に
奉納されていた燈籠がありました。
増上寺惇信院前奉納燈籠
増上寺の惇信院(じゅんしんしん:九代将軍徳川家重)霊廟前に奉納されていた、
燈籠もありました。
徳蔵寺のご朱印
武蔵野三十三観音霊場第七番札所:ご朱印
狭山観音霊場第十一番札所:ご朱印
寺院情報
- 住所:東京都東村山市諏訪町1-26-3
- アクセス:西武新宿線東村山駅徒歩約16分
- HP:http://www.tokuzo-ji.com/
徳蔵寺周辺
徳蔵寺橋
前川にかかる橋は徳蔵寺橋といいます。
江戸名所図会に描かれている八国山の麓の「北川」と「前川」の二つの川の間の場所が、
新田義貞軍と鎌倉幕府軍との戦い、久米川古戦場になります。
手作りパンの店『マドンナ』
徳蔵寺の門前に手作りパンの店『マドンナ』があります。
『東村山の殿様クリームパン』が売られていました。
東村山市出身の志村けんさんの「バカ殿様」がモチーフでしょうか。
名物の塩あんぱんとともに美味しく頂きました。
諏訪神社(すわじんじゃ)
徳蔵寺から東村山駅に向かって歩いていると、
東村山ふるさと歴史館の先に諏訪神社がありました。
明治の神仏分離まで徳蔵寺の管理下にあり、
現在の徳蔵寺の本堂は、諏訪神社の杉材で建立されたと伝えられています。
昭和六十年落慶の鳥居は徳蔵寺から奉納されました。
前川の洪水の際に流れ着いた御神体を桜井利兵衛がお祀りして、
貞享二年に西宿の鎮守様として寄贈されました。
明治七年の学制施行後、化成小学校に境内の大部分を敷地として提供して、
現在地に遷りました。
本殿の後ろは化成小学校のグラウンドになっています。
社殿の奥には本殿が納められています。江戸時代初期の建築と推定されます。
境内には御神霊招霊のおがたまがありました。
ご覧頂きましてありがとうございます。
武蔵野三十三観音霊場は昭和十五年に郷土史家の柴田常恵氏の発願で、
番外を含めた三十四箇所の寺院を選定し、結成されました。
西武池袋線沿線に点在している霊場です。
石神井から所沢、飯能方面に分布しています。