古都鎌倉十三佛霊場第十二番札所・鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十番、第二十一番札所:極楽寺(ごくらくじ)
鎌倉三十三観音霊場
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所の杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
古都鎌倉十三佛霊場
十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、
また追善を行った功徳により、
自らの死後十三王の審判から救済されるという十三仏信仰が盛んになり、
日本全国に霊場があり、多くの人が巡拝しています。
古都鎌倉十三佛霊場:御朱印帳
鎌倉二十四地蔵尊霊場
明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)に成立したといわれています。
鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳にご朱印を頂きました。
鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十番札所:導地蔵尊
極楽寺駅から極楽寺に向かう道のすぐに地蔵堂があります。
文永四年(1267年)に極楽寺開祖の忍性が、
運慶作の地蔵を安置したのが始まりといわれています。
当時の地蔵は焼失したといわれています。
鎌倉二十四地蔵尊霊場第二十一番札所:月影地蔵尊
極楽寺から稲村ケ崎小学校を過ぎて歩くと、
民家の間に地蔵堂があります。
極楽寺に近い阿仏尼邸にあった地蔵を移した為に、
『月影地蔵』と名がついたといわれています。
由緒
正元元年(1259年)に鎌倉幕府第二代執権の北条義時の三男、
北条重時により現在地に移されたものだそうです。
元は深沢(鎌倉市西部)にあり、正永和尚によって開山された念仏系寺院でした。
北条重時は後に連署(執権に次ぐ地位)として、
第五代執権の北条時頼を補佐しましたが、
康元元年(1256年)に出家し仏門に入り、観覚となりました。
その後、鎌倉幕府第六代執権の北条長時や、
北条重時の四男である北条業時(なりとき)が極楽寺の伽藍を整備しました。
開祖は文永四年(1267年)に入山した忍性です。
度重なる火災や地震などに遭いながらも、復興されました。
山門
現在の山門は文久三年(1863年)の建立となります。
境内
本堂
本堂内は普段は非公開で、四月七日~九日のみ入堂できるそうです。
本堂上には北条氏の家紋『三つ鱗(みつうろこ)』が掲げられています。
観音堂
鎌倉三十三観音霊場の『如意輪観世音菩薩』が祀られています。
客殿
八重一重咲分け桜
元は北条時宗の御手植えと伝えられ、現在は古株より派生したものです。
一株に八重と一重が混生しています。
千服茶臼・製薬鉢
忍性が極楽寺の境内に、
施薬悲田院など弱者救済の事業を行った際に使用されたと伝えられています。
極楽寺の井
開山の忍性により作られたものといわれています。
極楽寺のご朱印
鎌倉三十三観音霊場第二十二番札所:ご朱印
鎌倉十三佛霊場第十二番札所:ご朱印
鎌倉二十四地蔵霊場第二十番札所:ご朱印
鎌倉二十四地蔵霊場第二十一番札所:ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7
- アクセス:江ノ島電鉄極楽寺駅徒歩2分
旧町名:寺中(じちゅう)
極楽寺のある住所極楽寺三丁目の北側の旧字名は『寺中(じちゅう)』といわれています。
かつての極楽寺の境内は、
現在の稲村ケ崎小学校や極楽寺二丁目・四丁目周辺も含めた広大な敷地でした。
極楽寺周辺
極楽洞
極楽寺駅から極楽寺に向かう道の途中桜橋から、
江ノ電のトンネル『極楽洞(ごくらくどう)』を見ることができます。
明治四十年(1907年)建設当時の煉瓦造りの原形をとどめています。
トンネルのアーチ頂部に二箇所の要石を備えたデザインは珍しいものです。
極楽寺駅
極楽寺の最寄駅は『極楽寺駅』となります。
駅舎は昭和十年代に建てられた木造形式となっています。
伝・上杉憲方の墓
極楽寺から成就院に向かう道すがらに、
『上杉憲方墓』と書かれた石碑がありました。
上杉憲方は足利尊氏の従兄弟で関東管領の職にありました。
墓所は明月院にもあります。
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大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。