鎌倉二十四地蔵尊霊場第七番札所:鎌倉公方菩提寺:瑞泉寺(ずいせんじ)
鎌倉三十三観音霊場
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所の杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
鎌倉二十四地蔵尊霊場
明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)に成立したといわれています。
鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳にご朱印を頂きました。
由緒
出家前は鎌倉幕府の御家人であった二階堂道蘊(にかいどうどううん)が、
嘉歴二年(1327年)に夢窓疎石を開山として創建された寺です。
当初は瑞泉院という名でした。
初代鎌倉公方の足利基氏は、夢窓疎石に帰依して、
寺名を瑞泉寺に改め、中興しました。
国指定史跡:瑞泉寺境内
静かで落ち着いた境内です。
夢窓国師による作庭
夢窓国師により景勝の地が選ばれ、創建されました。
国師は岩盤を削って岩の庭園を築いたといわれています。
昭和四十五年に発掘、復元されました。
鎌倉に残る鎌倉時代の唯一の庭園となります。
『夢窓国師古道場』の碑があります。
天女洞(水月観道場)
岩盤の洞窟は天女洞(水月観道場)と呼ばれ、坐禅修行の場であったといわれています。
総門
鎌倉宮の脇を通り、更に山へ向かうと途中に総門があります。
ここから更に歩くと山門が見えてきます。
境内への参道
山門へ向かう道となります。
山門
本堂
本堂は昭和五十年(1975年)に再建されました。
堂内には『夢窓国師坐像』や、
徳川光圀の寄贈の『木造千手観音菩薩坐像』が安置されています。
江戸時代に徳川光圀は境内の錦屏山の頂上に『徧界一覧亭』を再建して、
ここで『新編鎌倉志』を編纂させました(一般公開はされていません)
どこもく地蔵堂
『どこも苦地蔵』と呼ばれる地蔵菩薩立像が安置されています。
昔、堂守が貧しさゆえに逃げ出そうとした際、夢枕に地蔵が立ち、
『どこも苦、どこも苦(苦しいのはどこも同じ)』と言われたという逸話があります。
鐘楼(錦屏晩鐘)
『錦屏晩鐘』と名付けられています。
『錦屏(きんぺい)』とは山号の『錦屏山』の事です。
吉田松陰ゆかりの地:『松陰吉田先生留跡碑』
長州藩士の吉田松陰の伯父が住職を務めていたことから、
嘉永六年(1853年)五月に伯父を訪ねて、語り明かしたそうです。
ペリーの浦賀来航を間近に見た松陰は、
翌年下田で密航を企てる直前にも寺を訪れています。
多くの文人のゆかりの地
瑞泉寺には多くの文人が来訪して、数多くの文学作品が創り出されています。
大宅壮一評論碑
『男の顔は履歴書である』という評論家の大宅壮一の言葉が刻まれています。
茶室
『南芳庵』という茶室があります。
瑞泉寺のご朱印
御本尊:ご朱印
『大雄宝殿』と書かれています。
鎌倉三十三観音霊場第六番札所:ご朱印
鎌倉二十四地蔵尊霊場第七番札所:ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市二階堂710
- アクセス:JR鎌倉駅下車『大塔宮』行きバス乗車『大塔宮』バス停下車徒歩15分
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大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。