徳川家康側室お勝の方:太田道灌屋敷跡:英勝寺(えいしょうじ)
英勝寺の地:由緒
英勝寺の地は古くから亀ヶ谷、扇ガ谷などと呼ばれ、
寿福寺とともにかつては鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の父・義朝の屋敷が建っていました。
鎌倉幕府が滅ぶと、鎌倉は足利氏が支配する地となり、
扇ガ谷は鎌倉公方足利氏の補佐役の関東管領である上杉氏に与えられました。
英勝寺からJRの線路を挟んだ向かい側に『扇谷上杉管領屋敷跡』の石碑があります。
英勝寺は上杉氏の家宰である太田氏が居を構え、門前には『太田道灌屋敷跡』の碑もあります。
太田道灌は文明十八年(1486年)に主君の扇谷上杉定正の糟屋館に招かれました。
入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、暗殺されました。
鎌倉町青年團:太田道灌邸舊跡(きゅうせき)
英勝寺の門前にあります。
由緒
江戸幕府初代将軍の徳川家康の側室で、太田道灌の子孫であるお勝の方は、
家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、
後の水戸藩初代藩主の徳川頼房の養母を務めました。
家康の死後は落飾して英勝院(えいしょういん)と称し、
三代将軍の家光より賜った父祖の地である扇ガ谷に英勝寺を創建しました。
代々水戸家の姫が住持を務めた為、『水戸御殿』や『水戸の尼寺』とも呼ばれました。
総門
JR鎌倉駅から歩いて向かうと、最初に総門が見えます。
「英勝寺入口この先60メートル」という看板がありました。
通用門
通用門から入ります。すぐに拝観料の支払いやご朱印を頂ける寺務所があります。
国指定重要文化財:山門
讃岐高松藩初代藩主の松平頼重(徳川光圀兄)が寛永二十年(1643年)に建立しました。
関東大震災後に鎌倉の資産家に売却されましたが、有志による復興事業により、
平成二十三年(2011年)に元の礎石上に復興されました。
山門の扁額『英勝寺』は後水尾天皇の宸筆(しんぴつ)によるものです。
山門上層には中心に阿弥陀如来と左脇侍・観音菩薩と右脇侍・勢至菩薩が配され、
周囲に十六羅漢像が安置されています。
国指定重要文化財:仏殿
寛永十二年(1635年)に創建されました。
本尊は阿弥陀三尊像で運慶作と伝えられています。
国指定重要文化財:鐘楼
近世の鎌倉では唯一とされる袴腰鐘楼(はかまごししょうろう)です。
国指定重要文化財:祠堂門(唐門)
祠堂に入る門です。
国指定重要文化財:祠堂
英勝院の位牌を祀る建物です。外側の覆堂(おおいどう)によって守られています。
日光東照宮を思わせる彩色装飾が施されています。
徳川光圀によって建立されたといわれています。
祠堂裏:英勝院のお墓
祠堂裏の石塔は英勝院のお墓だそうです。
英勝院のお墓の裏のやぐらには仏像が安置されていました。
やぐら
境内には竹林とやぐらがあります。
入口と書かれてところから入ると・・・。
石仏が安置されていました。三霊社権現と呼ばれるそうです。
周囲は崖に囲まれていました。
階段を登ると観音像が安置されていました。
他のやぐらにはお地蔵様もいらっしゃいました。
金毘羅宮もありました。
竹林
境内の奥の門をくぐると竹林の庭園がありました。
書院
境内のあじさい
訪問時には境内にあじさいが咲いていました。
英勝寺のご朱印
ご朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
- アクセス:JR鎌倉駅徒歩約15分
英勝寺周辺
伝・阿仏尼(あぶつに)の墓
英勝寺の北側の塀を越えた崖下のやぐらに阿仏尼の墓がありました。
この場所は元々は英勝寺の境内だったそうです。
阿仏尼は女流歌人であり、藤原為家の側室として、冷泉為相・為守を産みました。
夫の死後、荘園の相続を巡り、正妻の子である二条為氏と争いがおこり、
訴訟の為に鎌倉へ下りました。この時の紀行と鎌倉での滞在を記したのが、
『十六夜日記(いざよいにっき)』です。
智岸寺稲荷
阿仏尼の墓の横にお稲荷様が祀られていました。英勝寺が管理する智岸寺稲荷と呼ばれ、
かつてこのあたりにあった智岸寺というお寺の稲荷社だそうです。
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