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源頼朝ゆかりの地:石浜神社(いしはまじんじゃ)
浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)
社殿
本殿は伊東忠太の設計で、昭和十二年に落成されました。
拝殿は昭和六十三年に落成されました。
由緒
神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願によってこの地に鎮守されました。
奥州討伐の際は源頼朝が祈願し、戦勝の目的が果たされたので、
社殿を造営・寄進しました。
弘安四年(1281年)の蒙古襲来の折には、鎌倉幕府七代将軍の惟康親王を勅使として、
戦勝を祈願されました。
千葉氏、宇都宮氏など関東武将の信仰が篤く、多くの参詣者を集めたといわれています。
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝ゆかりの地
清和源氏の嫡流である河内源氏の源義朝の三男として生まれました。
義朝が平治の乱で敗れると伊豆に流されましたが、平家打倒に挙兵しました。
平家打倒を果たした後、鎌倉幕府初代将軍となりました。
奥州討伐の際は源頼朝が祈願し、戦勝の目的が果たされたので、
社殿を造営・寄進しました。
御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
境内
神社には珍しく神道式霊園を持っています。
かつて石浜城があった場所という説があります。
その他、待乳山聖天本龍院に付近にあったという説もあります。
石浜神社のご朱印
石浜神社:ご朱印
浅草名所七福神・寿老人:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都荒川区南千住3-28-58
- アクセス:JR南千住駅徒歩10分
- HP:https://www.ishihamajinja.jp/
石浜神社周辺
対鴎荘跡(たいおうそうあと)
隅田川沿いの橋場一帯は、風光明媚な地であったため、
著名人の屋敷が軒を連ねていました。
明治時代の政治家三条実美の別邸対鴎荘もその一つです。
その後多摩市連光寺に移築され料亭となりました。
老朽化が進み、荒れ果ててしまった対鴎荘は、
市議会で存続させるか取り壊すかで議論されましたが、結局取り壊されました。
対鴎荘行幸後の明治天皇の御製碑
『いつみてもあかぬ景色は隅田川 難美路の花は冬もさきつつ』
御見舞いの帰途に、伊達宗城邸で御休息の際、
隅田川の冬景色を見て詠まれた和歌です。
碑は隅田公園の中にあります。
橋場の渡し跡
現在は白髭橋(しらひげばし)がかかっています。
ご覧頂きましてありがとうございます。
浅草名所七福神には九つのお寺と神社があります。
『九は数の極み、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩(あつまる)であり、又、天地の至数、易では陽を表す』
という故事に由来したものです。
浅草寺、待乳山聖天、今戸神社、橋場寺不動院、鷲神社、吉原神社
矢先稲荷神社、浅草神社、石浜神社