三社様:全国東照宮めぐり:浅草神社(あさくさじんじゃ)
由緒
浅草寺の創建に携わった、
郷土の文化人土師真中知(はじのまなかち)の子孫が、
聖観世音菩薩の夢告を受け、
祖先等を浅草寺の傍らに鎮守するよう告げられ、
郷土神として祀る三社権現社が創建されました。
明治元年の神仏分離令により、社名を三社明神社と改められ、
浅草郷の総鎮守となりました。
今でも三社様と呼ばれ親しまれています。
御祭神
浅草寺の御本尊『聖観世音菩薩』を隅田川で見つけた、檜前浜成・竹成兄弟と、
浅草寺を建立した土師真中知が祀られています。
全国東照宮めぐり
元和四年に浅草寺境内に東照宮が勧請されましたが、寛永十九年に焼失しました。
その後浅草神社に合祀されました。
昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
『全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年の徳川家康没後四百年忌にご朱印帳が作成されました。
『全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。
全国東照宮めぐり:御朱印帳
御朱印帳は日光東照宮で頂きました。
国指定重要文化財:社殿
慶安二年(1649年)に江戸幕府三代将軍の徳川家光により寄進されました。
関東大震災や東京大空襲の戦火を免れて現存する貴重な木造建築物です。
拝殿正面の社標は、越前福井藩主の松平春嶽により揮毫(きごう)されたものです。
浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)
境内
被官稲荷(ひかんいなり)神社
安政元年に町火消し「を組」の頭、
新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻が重い病に伏したとき、
伏見稲荷大社へ祈願したところ、病が回復したため、
御分霊を伏見から勧請し創建されました。
新門とは浅草寺の伝法院新門辺りの責任者であったことが由来です。
鳥居は新門辰五郎によって奉納されたものです。
名称の由来は不明ですが、被官は出世と解釈されるそうです。
夫婦狛犬
作られた年代は不明ですが、相合傘で夫婦和合の御利益があります。
初代市川猿翁(いちかわえんおう)句碑
歌舞伎役者の初代・市川猿翁(いちかわえんおう)の句碑がありました。
昭和四十二年に建碑されました。
こちら葛飾区亀有公園前派出所:『友情はいつも宝物』石碑
週刊少年ジャンプで連載されていた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で、
『浅草物語』の回に浅草神社が出ています。
御神田(ごしんでん)
境内に田んぼがあり、収穫された稲は神様に奉納されます。
令和六年七月参拝時:浅草子供歌舞伎
令和六年七月七日の七夕の日に参拝しました。
『浅草子供歌舞伎』が上演されていました。
浅草神社のご朱印
平成十九年拝受:ご朱印
平成二十七年拝受:三社祭:ご朱印
令和元年拝受:ご朱印
令和六年七月拝受:夏詣(なつもうで)・ご朱印
令和六年七月拝受:七夕・ご朱印
平成十九年拝受:浅草名所七福神・恵比須神:ご朱印
平成二十七年拝受:浅草名所七福神・恵比須神:ご朱印
令和元年拝受:浅草名所七福神・恵比須神:ご朱印
平成二十七年拝受:被官稲荷神社:ご朱印
令和元年拝受:被官稲荷神社:ご朱印
神社情報
- 住所:東京都台東区浅草2-3-1
- アクセス:東京メトロ銀座線浅草駅徒歩7分・都営浅草線徒歩8分
- HP:https://www.asakusajinja.jp/
三社祭の風景
五月の第三金・土・日曜日に行われる日本を代表とする祭礼のひとつが、
浅草神社の三社祭です。
三日間にわたり約百八十万人の人出を数えます。
浅草氏子四十四ヶ所の町内各神輿約百基が各町内を渡御します。
ご覧頂きましてありがとうございます。
土師真中知命(はじまつちのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)