江の島七福神:毘沙門天:宝戒寺(ほうかいじ)
鎌倉三十三観音霊場
専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所の杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。
鎌倉三十三観音霊場で唯一の仏母准胝観世音(じゅんていかんぜおん)が祀られています。
江の島七福神:毘沙門天
鎌倉二十四地蔵尊霊場
明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)に成立したといわれています。
鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳はありませんでしたので、
寺院用の御朱印帳にご朱印を頂きました。
鎌倉町青年團:北條執権屋敷跡碑
鎌倉幕府二代執権の北条義時以来の北条得宗家の屋敷がありました。
北条九代屋敷跡碑
由緒
建武二年(1335年)に後醍醐天皇が足利尊氏に、北条氏の慰霊の為に建立させました。
鎌倉幕府十四代執権であった北条高時は、宝戒寺の裏山にある東勝寺で自害し、
一族郎党八百七十余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡しました。
文和三年(1354年)には戒壇院が置かれ、灌頂(かんじょう:仏位受職の儀式)が行われました。
東勝寺跡
東勝寺は現在お寺はありません。北条高時の腹切りやぐらなどがあります。
御本尊
子育経読地蔵大菩薩(鎌倉二十四地蔵尊霊場第一番):国指定重要文化財
貞治四年(1365年)に仏師憲円の作です。
参道
目の前の道路は交通量が多いですが、山門をくぐりますと静かで落ち着いた環境です。
桜の季節には山門前もきれいに彩られています。
昭和から続く復興大勧進
戦国時代の兵火や江戸時代の火災、明治の廃仏毀釈で失われた伽藍の復興に、
昭和四十七年から大勧進が進められています。
萩の寺
花の名所として有名で、特に秋の季節に境内が白萩で埋め尽くされることから、
『萩寺』の別名があります。
柏槙(ビャクシン)
本堂
本堂には御本尊の他、仏母准胝観世音(鎌倉三十三観音霊場)や毘沙門天(江の島七福神)など、多くの仏像が安置されていました。
聖徳太子堂
聖徳太子が祀られています。
德崇大権現堂(とくそうだいごんげんどう)
鎌倉幕府十四代執権であったの北条高時が德崇大権現として祀られています。
大聖歓喜天堂(だいしょうかんぎてんどう)
秘仏である大聖歓喜双身天王(だいしょうかんぎそうじんてんのう)が祀られています。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
滅亡した北条氏や東勝寺の合戦での戦没者の霊を供養する慰霊塔です。
梵鐘
鳶職組合慰霊碑
宝戒寺のご朱印
平成十五年拝受:鎌倉二十四地蔵尊霊場第一番札所:ご朱印
平成二十六年拝受:鎌倉二十四地蔵尊霊場第一番札所:ご朱印
平成二十六年拝受:鎌倉三十三観音霊場第二番札所:ご朱印
令和四年拝受:鎌倉三十三観音霊場第二番札所:ご朱印
平成二十六年拝受:江の島七福神:毘沙門天:ご朱印
令和四年拝受:北條執権屋敷跡:限定御朱印
寺院情報
- 住所:神奈川県鎌倉市小町3-5-22
- TEL:0467-22-5512
- アクセス:JR鎌倉駅下車徒歩11分
- HP:https://hokaiji.com/
宝戒寺周辺
鎌倉町青年團:鎌倉十橋(かまくらじっきょう)・筋替橋(すじかえばし)碑
宝戒寺裏の滑川を渡る橋でした。現在は暗渠となっています。
横大路・小町大路・六浦道(金沢街道)が交差する場所にあります。
三浦泰村一族の叛乱(宝治合戦)に際し、
五代執権の北条時頼と外祖父の安達景盛は筋替橋の北にある三浦泰村の屋敷を攻めました。
追い詰められた泰村は一族郎党ともに法華堂で自害しました。
鎌倉町青年團:土佐坊昌俊邸址碑
源頼朝と弟の源義経が対立した際、
京にいた義経を襲ったのが土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)でした。
義経は応戦し、郎党に捕らえられた昌俊は、六条河原に梟首されました。
土佐坊昌俊は、源義朝の死を愛妾の常盤御前に伝えた郎党の、
金王丸(渋谷金王丸常光)と同一人物であるという説があります。
(東京都渋谷区にある金王八幡宮には金王丸を祀る金王丸影堂があります)
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大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。