神奈川県鎌倉市:鎌倉三十三観音霊場第二十八番札所:建長寺のご朱印

鎌倉五山第一位:鎌倉二十四地蔵尊霊場第九番・十番札所:建長寺(けんちょうじ)

鎌倉三十三観音霊場

鎌倉三十三観音霊場

大正から昭和初期に設定されました。
江戸時代に成立した『鎌倉郡三十三箇所』を元にしたといわれています。

専用の御朱印帳はありませんので、第一番札所杉本寺で無地のご朱印帳を購入し、
鎌倉三十三観音霊場専用としました。

鎌倉二十四地蔵尊霊場

鎌倉二十四地蔵尊霊場

明治の廃仏毀釈などで失われる地蔵尊を憂い、
明治三十四年(1901年)より各所を捜索し、
大正六年(1917年)成立したといわれています。

鎌倉二十四地蔵尊霊場には専用の御朱印帳ありませんでしたので、
寺院用御朱印帳にご朱印を頂きました。

由緒

建長五年(1253年)に創建されました。
開基鎌倉幕府第五代執権北条時頼です。
開山南宋の禅僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)です。

建長寺のある場所はかつて『地獄ヶ谷』と呼ばれる処刑場でした。
本尊が地蔵菩薩であるのはこうした因縁によるものだそうです。

正応六年(1293年)鎌倉大地震により建物の大半が倒壊しました。
元から来日した一山一寧(いっさんいちねい)を第十世に任じて再建にあたらせました。
その後二度の火災で創建当初の建物を失いましたが、
鎌倉時代末期に幕府公認の『建長寺船』と呼ばれる元との貿易船で、
修復費用をまかないました。

江戸時代には金地院以心崇伝住山(じゅうざん:山に住むこと)に入ったこともあり、
江戸幕府の保護の元、鎌倉五山第一の寺格にふさわしい景観が維持されました。

天下門(西外門)

昭和五十九年(1984年)に再建されました。
『天下禅林』の額を掲げている為、『天下門』と呼ばれています。

総門

天明三年(1783年)に建立されました。
昭和十五年(1940年)京都般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)より移築されました。

『巨福山(こふくさん)』の額は一山一寧の筆と伝えられています。

三門(山門:国指定重要文化財)

安永四年(1775年)に上棟されました。
棟梁は建長寺大工河内長兵衛です。
『建長興國禅寺』と扁額が掛けられています。

楼上には『釈迦如来』『十六羅漢』『五百羅漢』安置されています。
五百羅漢日本三大五百羅漢のひとつに数えられています。

『日本三大五百羅漢』四つあります。
徳蔵寺:栃木県足利市
羅漢寺:大分県中津市本耶馬渓町
喜多院:埼玉県川越市

建長寺:神奈川県鎌倉市

鎌倉幕府の有力御家人:梶原景時ゆかりの地:梶原施餓鬼会

建長寺では毎年7月15日三門『三門施餓鬼会』と、
梶原景時の霊を弔う為『梶原施餓鬼会』が行われます。

梶原景時

梶原氏坂東平氏の流れを組む鎌倉氏の一族です。
梶原景時は、源頼朝挙兵の際は大庭景親(おおばかげちか)とともに頼朝討伐に向かい、
石橋山の戦い頼朝を打ち破りましたが、
洞窟に隠れる頼朝一行を見逃し、その後頼朝の御家人となりました。
頼朝の死後追放され、一族とともに滅ぼされました(梶原景時の変)

蘭渓道隆施餓鬼会を終えた後、一人の武者が現れました。
施餓鬼会を終えたと聞き、残念そうに去ろうとした武者を呼び止め、
もう一度施餓鬼会を行ったところ、自らを『梶原景時の霊』と名乗り、
大変感謝をして姿を消したという故事があります。

仏殿(国指定重要文化財)

本尊地蔵菩薩が安置されています。

正保四年(1647年)増上寺崇源院の霊屋の建て替えに際し移築されました。

法堂(国指定重要文化財)

文化十一年(1814年)に再建された関東最大の法堂です。

『海東法窟』の額は、かつてあった東外門に掲げられていました。
『中国・宋から海を渡って仏法が伝えられた寺』という意味があるそうです。

中国の禅宗様式での建築

建長寺は中国の禅宗様式に基づいて、
『総門』・『三門』・『仏殿』・『法堂』・『方丈』が一直線に建てられています。

唐門(からもん)(国指定重要文化財)

仏殿と同じく、
正保四年(1647年)に芝増上寺崇源院の霊屋の建て替えに際し移築されました。

方丈から見た唐門裏となります。

建長寺の柏槙(びゃくしん)

蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を、
建長寺創建の際にまいたといわれています。

柏槙劣化対策事業が行われています。

梵鐘(国宝):鎌倉三名鐘

建長七年(1255年)に関東鋳物師の筆頭である物部重光により鋳造されました。
銘文は蘭渓道隆によるものです。

『鎌倉三名鐘』
常楽寺:神奈川県鎌倉市(大船)


円覚寺:神奈川県鎌倉市(北鎌倉)
建長寺:神奈川県鎌倉市(北鎌倉)

『鐘つけば銀杏ちるなり建長寺』夏目漱石

夏目漱石が梵鐘を詠んだ句です。
親友正岡子規はこの句を参考に『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』という句を詠みました。

方丈

方丈享保十七年(1732年)建立されました。
元々総門と同じく京都般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)より、
昭和十五年に移築されました。

庭園

創建当時からある蘭渓道隆により作庭された庭園です。
右側の建物は『得月楼』という名で平成十四年に建設されました。

建長寺のご朱印

国宝 大覚禅師法語規則:ご朱印帳

御朱印帳の中

大僧正の揮毫により『一期一会』と書かれています。

御朱印帳を購入しましたので、御本尊大覚禅師最明寺殿のご朱印を金印で頂きました。

平成十三年拝受:御本尊:ご朱印

令和四年八月拝受:御本尊:ご朱印

大覚禅師法語規則御朱印帳を購入したので、
金印のご朱印を頂きました。

ご朱印の敷き紙には、身代わり地蔵縁起和讃が書かれていました。

大覚禅師(開山 蘭渓道隆):ご朱印

最明寺殿(開基 北条時頼):ご朱印

南無釈迦牟尼仏:ご朱印

びんずる尊者:ご朱印

鎌倉三十三観音霊場第二十八番札所:ご朱印

鎌倉二十四地蔵尊霊場第九番札所:ご朱印

仏殿脇壇に安置されています。

鎌倉二十四地蔵尊霊場第十番札所:ご朱印

御本尊地蔵菩薩胎内に安置されていたそうです。
現在は宝蔵に安置されています。

寺院情報

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