群馬県館林市:分福茶釜の舞台:茂林寺のご朱印

茂林寺沼:茂林寺

東武伊勢崎線茂林寺前駅改札を出ると、
タヌキの一家が出迎えてくれます。

由緒

開山美濃国土岐氏出自である大林正通(だいりん しょうつう)となっています。

正通諸国行脚の折り、伊香保でのちの守鶴という老僧と出会います。
応永三十三年正通守鶴とともに館林を訪れ、小庵を結びます。

応仁二年青柳城主赤井正光は、正通に深く帰依して、
寺領の内八万坪を寄進し、堂宇を建立しました。

大永二年後柏原天皇より勅願寺綸旨を賜り、
寛永十九年には江戸幕府三代将軍徳川家光より、
二十三石四斗の朱印を下賜されました。

分福茶釜の逸話

茂林寺で千人法会が催された際、
大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。

その時守鶴和尚がどこからが茶釜を持ってきて、
茶堂に備えました。

不思議なことにこの茶釜はいくら湯を汲んでも、
尽きることはなかったといいます。

和尚はこの茶釜を『紫金銅分福茶釜』と名付けました。

守鶴和尚が昼寝をしているところを別の僧が覗くと、
股からタヌキの尾が生えており、正体がばれてしまいました。

守鶴和尚は寺を去ることになり、
人々が感涙にむせぶ中、ムジナの姿で飛び去ったということです。

おとぎ話版分福茶釜の碑

おとぎ話版の作者巖谷小波(いわやさざなみ)の碑です。

総門

応仁二年(1468年)建立されました。

参道

二十一体狸像が並んでいます。

山門(赤門)

元禄七年(1694年)建立です。

本堂

応仁二年に建立享保十二年に改築しました。
本堂北側の一室には分福茶釜が安置されているそうです。

守鶴堂

守鶴和尚歴代の住職役僧として仕えました。
今は茂林寺の鎮守大菩薩として祀られています。

聖観音

元禄三年上野国館林村大窪荘高瀬善兵衛が、
病没した娘の供養の為に寄進したものだそうです。

境内

静かで落ち着いた雰囲気の境内です。

茂林寺のラカンマキ

応永三十三年(1426年)に植えられたそうです。六百年近い樹齢となります。

茂林寺のご朱印

茂林寺:ご朱印

寺院情報

自然豊かな茂林寺周辺

茂林寺沼

館林市『里沼』日本遺産となっています。

茂林寺のそばに沼地や湿原が今でも存在します。
コウホネ・カキツバタ・ノウルシなど希少種が自生しています。

茅葺屋根本堂山門葺き替えに、沼茅(ぬまかや)(あし)を利用してきました。
繁茂する刈ることで、沼の生態系を維持し、地域の人々と共生してきました。

茂林寺遊歩道案内図

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