東京都中央区:日本橋七福神・弁財天:水天宮のご朱印

東京下町八社福参り:水天宮(すいてんぐう)

由緒

江戸時代久留米藩二十一万石九代藩主有馬頼徳が、
上屋敷内に、国元久留米より水天宮御分霊を勧請したことにより、
創建されました。

上屋敷の中にあるため、
一般の人々が参拝することはできませんでしたが、
江戸の人々の信仰は篤く屋敷の塀越しにお賽銭を投げ込む人が後を絶ちませんでした。

それを知った藩主は、毎月五日に限り屋敷を開放し、水天宮の参拝を許したそうです。

江戸の人々より「情け深い」ことを掛けて、
情けありまの水天宮』と言われ流行語になったといわれています。

その後屋敷の移転とともに、明治四年青山
明治五年日本橋蛎殻町へ移りました。

東京大空襲でも社殿は残り現在の社殿平成二十八年に御造替が行われました。

有馬家

赤松家を祖とする摂津有馬家は、
応仁の乱の引き金となった嘉吉の乱の後に、
有馬の郷落ちのびて隠れ住み、
有馬」と名乗りました。

後年太閤秀吉に見出されて中央に戻してもらいましたが、
その幸運を授けてくれた有馬(有間)神社御祭神である、
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)」のご神徳を忘れないように、
有馬神社社紋である三つ巴有馬家の家紋としました。

有馬家十五代当主有馬頼寧(ありまよりやす)は、
昭和三十一年(1956年)競馬ファン投票選出馬による、
夢のオールスターレース創設を提唱『中山グランプリ』新設しました。
後に故人の功績を称え、年末のメインレースを『有馬記念』と改称されました。

日本橋七福神

日本橋七福神

東京都中央区にある神社巡拝します。七福神のご朱印通年頂けます。
昭和二十五年頃元伯爵有馬頼寧(ありまよりやす)の発案で始まり、
一時中断しましたが、昭和五十一年再興されました。
笠間稲荷神社東京別社:寿老人
小網神社:福禄寿
水天宮:弁財天
末廣神社:毘沙門天
椙森神社:恵比寿神
松島神社:大国神
茶ノ木神社:布袋尊

授与品1月1日~15日までの期間となります。
詳細は日本橋七福神めぐり公式サイトまで:https://www.nihonbashi-shichifukujin.gr.jp/

東京下町八社福参り

東京下町八社福参り

東京下町八社福参りは、八つのお恵みを受け、
下町の人情味豊かな土地柄や、
名所旧跡を訪ねてもらうのが目的です。
鷲神社今戸神社第六天榊神社小野照崎神社小網神社住吉神社下谷神社

御祭神

御祭神

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

平家一門の三柱
安徳天皇:高倉天皇と建礼門院の皇子
建礼門院:平清盛の子で高倉天皇の中宮
二位の尼:平清盛の正室

安徳天皇の生母建礼門院に仕えた按察使局の『伊勢』は、壇ノ浦の合戦の折、
二位の尼より、生きて平家一門の御霊を祀るように命じられたそうです。
千代と改名した伊勢が三柱を祀った社は、尼御前大明神として崇められ、
今日の水天宮の起源となりました。

社殿

御子守帯の由来

御子守帯の由来

江戸時代より神社の鈴の緒には晒木綿(さらしもめん)が使われていました。
月に一度その晒を交換していましたが、
当時そのお下がりを受けた方が腹帯として使ったところ、
殊の外安産であったので、たちまちその評判が人づてに広まりました。
現在でも『戌の日』に腹帯を巻く習わしとなっています。

狛犬

ブリヂストン創業者石橋正二郎氏による奉納です。

日本橋七福神・弁財天:寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)

江戸時代に有馬家上屋敷には、
市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていました。

九代藩主有馬頼徳寳生流能楽を、
加賀藩主十一代藩主前田斉広(なりなが)競う際、
弁財天願をかけ、見事勝利を得たといいます。

寳生辨財天』と呼ばれ、芸能の神様として篤く信仰されています。

水天宮のご朱印

平成十八年拝受:ご朱印

江戸鎮座二百年記念:ご朱印

平成三十年二月拝受:日本橋七福神・弁財天:ご朱印

平成三十年十二月拝受:日本橋七福神・弁財天:ご朱印

神社情報

  • 住所:東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1
  • アクセス:東京メトロ半蔵門線水天宮駅徒歩1分
  • HP:http://www.suitengu.or.jp/

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