東京都台東区:全国東照宮めぐり:上野東照宮のご朱印

上野公園内:上野東照宮(うえのとうしょうぐう)

全国東照宮めぐり

全国東照宮めぐりとは

昭和四十年(1965年)に全国の徳川家康公を奉斎する神社で、
全国東照宮連合会』が結成されました。
平成二十七年徳川家康没後四百年忌にご朱印帳が作成されました。
全国東照宮めぐり』は現在加盟している四十七社を巡るものです。

全国東照宮めぐり:御朱印帳

御朱印帳日光東照宮で頂きました。

由緒

寛永四年(1627年)に東叡山寛永寺創建された際、
同じく創建された『東照社』が上野東照宮の始まりです。

正保三年(1646年)に朝廷より宮号を授けられ、東照宮となりました。

現存する社殿は、
慶安四年(1651年)江戸幕府三代将軍徳川家光造営替えをしたものです。

約二百五十基燈籠全国の大名競うように奉納されました。

幕末の上野戦争の時には寛永寺の伽藍や子院の多くが焼失しましたが、
上野東照宮には火の手は及びませんでした。

また関東大震災でも倒れず、
太平洋戦争の際は社殿の裏に爆弾が投下されましたが、幸いにも不発だったそうです。

御祭神

御祭神

徳川家康公
徳川吉宗公
徳川慶喜公

鳥居

参道

国指定重要文化財:唐門

慶安四年(1651年)造営されました。

左甚五郎作昇り龍降り龍彫刻など、非常に精巧を極めたものです。

唐門由緒

大鈴

明治七年六月に上野東照宮の狛犬を彫った、石屋酒井八右衛門が寄進したものです。

酒井八右衛門は『井亀泉』の名で、『廣郡鶴』『窪世祥』とともに、
江戸三大石匠の一人に数えられています。

国指定重要文化財:銅燈籠(どうとうろう)

唐門前と参道には五十基銅燈籠が並んでいます。

国指定重要文化財:社殿

参道側から、『拝殿』『弊殿(石の間)』『本殿』の三つの部屋から構成される権現造です。

社殿由緒

境内

国指定重要文化財:透塀(すきべい)

向こう側が透けているのでこの呼び名となっています。

上段には野山の生き物や植物、下段には海川の生き物が二百枚以上彫られています。

狛犬

井亀泉酒井八右衛門の作です。

神楽殿

明治七年(1874年)深川木場組合より奉納されました。

日本三大燈籠:お化け燈籠

寛永八年(1631年)信濃長沼藩主佐久間勝之が寄進した燈籠です。

高さ6.06メートルで笠石の周囲3.63メートルの大きさです。

日本三大燈籠

南禅寺:京都府京都市左京区
熱田神宮:愛知県名古屋市
上野東照宮:東京都台東区 

日本三大燈籠全て佐久間勝之が寄進したものです。

国指定重要文化財:御三家燈籠

慶安四年(1651年)徳川家康三十六回忌に奉納されました。
尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家御三家より二基づつ奉納されました。

燈籠唐門より『紀伊』『水戸』『尾張』の順に並んでいます。
通常尾張家の序列が一番となっていますが、前年尾張徳川義直が他界し、
子の光義(後の光友)が家督を継ぎましたが、
まだ官位が低いため、唐門から遠い順となっているそうです。

大楠

樹齢約六百年で、東照宮が創建される前からこの地に立っています。
高さは二十五メートルあります。

栄誉権現社(御狸様)

東照宮社殿の側にあります。他を抜く(たぬき)強運開祖として篤く信仰されています。

きささげの木

慶安四年(1651年)の社殿造営時に、雷除けの願いを込めて植えられたそうです。
樹齢は約三百五十年以上と言われています。
きささげノウゼンカズラ科の落葉高木で、雷から社殿を守ると信じられているそうです。

上野東照宮のご朱印

平成二十一年拝受:ご朱印

平成二十六年拝受;ご朱印

ぼたん祭期間:限定ご朱印

ダリア展:限定ご朱印

栄誉権現:ご朱印

神社情報

東照宮周辺にある旧寛永寺の遺構

国指定重要文化財:旧寛永寺五重塔

寛永八年(1631年)土井利勝寄進した初代の塔は、
寛永十六年(1639年)焼失しましたが、同年中に再建されました。
塔の高さは約三十二メートルです。
上野戦争関東大震災太平洋戦争の空襲にも焼失を免れました。

元々東照宮の一部として建立されましたが、
明治の神仏分離令の際、取り壊しを逃れる為、
寛永寺に寄進されました。今は上野動物園の敷地内にあります。

旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔):由緒

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