武蔵野七福神・布袋尊:狭山(さやま)三十三観音霊場第一番札所:山口観音金乗院(こんじょういん)
西武ドームの最寄り
西武ドームから歩いてすぐのところに、
山口観音として古くから信仰されている金乗院があります。
2022年からは『ベルーナドーム』に名称変更されています。
西武狭山線の西武球場前駅には、
西武特急の5000形レッドアロー号の前頭部が展示されていました。
由緒
その昔、行基が当地に巡錫したとき、光り輝く木に千手観音を感得しました。
その姿を霊木に刻んで安置しました。
弘法大師が湯殿山に向かう途中に当地に訪れた時、
白髪の老翁から行基作の観音について告げられ、
弘仁年間(810年~824年)に堂宇を建立しました。
本堂
現在の本堂は宝暦年間(1751年~1764年)に建立されました。
軒にぶら下がる鐘は高麗王の梵鐘と呼ばれています。
御本尊の千手観音は三十三年に一度だけ御開帳されます。
裏観音の由来
本堂の裏側からも拝観できるようになっています。
武蔵野三十三観音霊場
専用の御朱印帳を購入して巡拝しました。
武蔵野七福神
武蔵野七福神は飯能市、所沢市、入間市にかけて、
六つの寺院と一つの神社で構成される埼玉県で最も古い七福神札所です。
昭和六年に発足しました。
狭山(さやま)三十三観音霊場
狭山三十三観音霊場は、
所沢市・東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町・入間市の六市町にわたって、
多摩湖・狭山湖の周りを「の」の字を描くように点在しています。
天明八年(1788年)の開創と伝えられます。
秩父三十四観音霊場・武蔵野三十三観音霊場と合わせて、
『武蔵の国百観音』と呼ばれています。
金乗院で御朱印帳を頂きました。
開山堂・武蔵野七福神堂
武蔵野七福神の布袋尊は、
慶長年間(1596年~1610年)に唐の僧侶により招聘されたといわれています。
お堂は昭和五十五年に中国より資材を取り寄せて建立されました。
武蔵野七福神・布袋尊:由緒
ぽっくりさん
開山堂隣にぽっくりさんがあります。
寛政五年(1793年)高野山の引導地蔵を招聘しました。
仁王門
貞治年間(1362年~1368年)に建立されました。
霊馬堂
新田義貞公の霊馬を祀っています。
新田義貞が鎌倉攻めの際、御本尊に願書を捧げ、後に白馬を奉納したといわれています。
新田義貞公誓の桜
新田義貞公の鎌倉攻めの際の誓の桜もあります。
大日堂
平成十一年(1999年)に本尊大日如来堂が建立されました。
大日堂前の池の水は、
弘法大師が閼伽水(あかすい:仏前に供養される水)として使われました。
水子供養地蔵尊
昭和五十二年より供養が始まりました。
玉佛堂
八体尊守護仏
奥の院五重塔
平成十一年に落慶されました。
五重塔の隣に西国三十三霊場、四国八十八霊場巡りができる、
仏国窟があります。
西向釈迦堂
奥の院門を出て道路沿いを少し歩くと西向釈迦堂があります。
鐘楼堂:六時の鐘
鐘楼堂は安永二年に建立されました。
鐘は太平洋戦争末期に供出されましたが、昭和四十九年に再び鋳造されました。
閻魔堂
享保年間(1716年~1735年)に建立されました。
本坊
こちらでご朱印が頂けます。
ご朱印を待つ間に鳥が水を飲みにきていました。
増上寺の燈籠
増上寺霊廟の燈籠が寄贈されていました。
『惇信院(じゅんしんいん)』とは江戸幕府九代将軍の徳川家重のことです。
『文昭院』とは江戸幕府六代将軍の徳川家宣のことです。
狭山不動尊不動寺にも増上寺霊廟の燈籠があります。
増上寺の徳川家霊廟の記事はこちらです。
山口観音金乗院のご朱印
平成二十八年拝受:武蔵野三十三観音霊場第十三番札所:ご朱印
令和四年拝受:千手観世音:ご朱印
武蔵野七福神・布袋尊:ご朱印
奥の院五重塔:限定ご朱印
令和五年七月拝受:狭山(さやま)三十三観音霊場第一番札所・ご朱印
寺院情報
- 住所:埼玉県所沢市上山口2203
- アクセス:西武狭山線西武球場前駅徒歩7分
狭山不動尊不動寺の前にあるゲートが目印です。
ご覧頂きましてありがとうございます。
武蔵野三十三観音霊場は昭和十五年に郷土史家の柴田常恵氏の発願で、
番外を含めた三十四箇所の寺院を選定し、結成されました。
西武池袋線・秩父線沿線に点在している霊場です。
石神井から所沢、飯能方面に分布しています。